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小説の評価は「理解度」に左右される(そもそも評価・感想がなかなかもらえないことも…)

通常、人は「自分には内容が理解できない小説」を評価することはありません(と言うか、できません)。

(どうしても評価「しなければならない」場合でもない限り。)

よって、内容が難解で「読者を選ぶ」小説は、なかなか評価がつかない感想がもらえない可能性が高いです。

(それどころか、途中リタイアされて、最後まで読んでもらえない可能性もあります。)

そしてこの「理解できるできない」問題……意外と作者本人は気づかないことも多いのです。

人間、どうしてもついつい「自分」をモノサシに物事を測りがちです。

「自分が知っていることは、他人も当然知っている」「自分に理解できることは、他人にも理解できる」と、ついつい思ってしまいがちです。

しかし、知識の量人それぞれ思考力理解力読解力人それぞれです。

作者が「自分知識量・頭脳スペックを基準に書いた小説が、誰にでも理解されるわけではありません。

特に、作者の知識・頭脳が「ごく一握りの人間しか持ち得ないハイスペックなもの」であればあるほど、「理解されない」リスクは高くなります。

「理解されにくい」小説を理解してもらうためには、工夫が必要です。

あまり一般的でない知識を用いるなら、その知識に対する「説明」が必要です。

難解な概念を語るなら、理解力が低くても理解してもらえるよう、噛み砕いて語る必要があります。

そうして理解されてはじめて、その小説は評価の土俵に上がることができるのです。

ただし、理解されるなら「なるべく完全に近い形で理解」してもらわなければ危険です。

中途半端に理解されると「全く理解されない」よりも厄介なことになりかねません。

人は、小説を「作者の意図とは全く違う形に誤解」してしまうことが、よくあります。

国語のテストで「この時、この人物は何を考えていたのか?」を問うものが、よくありますよね?

誰もが同じように小説の内容を「理解」できるなら、「答えを間違える」などということが起こるはずがありません。

(そもそも「作者の意図と出題者の意図も、ちゃんと合っているのか?」という疑問は、とりあえずここでは脇に置いておきます。)

しかし人は、自分が「誤解をしている」ということにさえ、なかなか気づけないものです。

(「誤解」は必ずしも頭脳のスペックが低いために起こるものではありません。ハイスペックでも、思考の柔軟性や、先入観思い込みの問題で容易に起こり得ます。)

小説に対する誤解無理解は、時に「正反対の評価」を生みます。

本来の意味・意図で理解されていれば満点評価をもらえるはずだったものが、誤解されてしまったがゆえに低評価に終わる可能性があります。

小説の内容が理解されるか否か(そしてその小説が評価されるか否か)は、小説の「分かりやすさ(文章力・説明力など)」と読者の「読書スキル(読解力・理解力など)」の均衡によって決まります。

読者のスキルが低い場合、小説にはより「分かりやすさ」が求められます。

しかし、あまりにも「分かりやす過ぎる」小説は、スキルの高い読者からは、物足りなく思われ、軽んじられかねません。

そして作者は、自分の小説の読者が「どの程度の読解力・理解力を持っているのか」知る術を、ほとんど持っていません。

もしその小説に評価や感想がついたなら、そこから「自分の小説が、その読者にどう理解されたのか」を推し測る……それくらいしか、術が無いのです。

(そして、読者の理解力は1人1人違うので、1人の読者の理解力が推測できたとしても、それが他の読者にも当てはまるかどうかは分からないという…。)

ちなみに自分は、複数の作品を、あえて文章の難易度も内容の難易度もバラバラにしてUPしているのですが……↓

やはり「文章・内容が平易なもの(そして身近な話題)の方が、評価・感想が来やすい」ような気がしています……。



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