曖昧なままでいることを決めたのだけれど
最近自分の文章を読んでいてよく思う。
「多分」「たいてい」「大まかには」「ほとんど」という単語が頻出しているのだ。
それは自信のなさというより、むしろ表現の正確さのために用いられている。私はけっこう断定表現を使うから、文章から臆病さはあまり感じられない。
(この「あまり」も曖昧な表現である。なぜこれを置くかと聞かれたら「私の文章から臆病さを感じることは、少ないながらも確かに『ある』からだ。『ある』ものを『ない』とは言えない。だから「あまり」という風にぼかすことで、誠実