子供っぽさと自己分析

自己分析。

私は自分がかなり子供っぽいことを自覚している。

もちろん17歳なのだから、子供っぽい性格なのは当たり前。同世代の人間を見ていても、自分が特別子供っぽいと思ったことはない。

ただ人間の精神を分析するのだから、比較対象は「一般的な成人女性」とするべきだ。だからその「一般的な成人女性」と比べて、どう違うか考えてみる。

・自己主張が激しい
・自分の能力を高く評価している
・羞恥心が少ない(あるいは恥ずかしがるポイントが違う)
・新しいものが好き(自分にとって。時代にとってではない。ゆえに古典も新しいものと捉える)
・常に人の意見より自分の意見を信用する
・人の意見を無視することはなく、参考にしたうえで、その意見を包括するような自分の意見を持ちたがる
・取捨選択の判断が得意
・飽き性
・責任感は強いが、それゆえに負担が大きくなりすぎるような責任は負いたがらない
・自己分析が好き
・努力をして結果を出すのが好き
・ゴール直前でやる気が失せることが多い
・男だから、女だから、という考えを一切持たない
・自分に不相応と言えるほどの大きな期待を抱いている
・男性の容姿にそれほど興味を持たない
・相手に自分の言葉がどれくらい通じるか常に判断していて、それに話のレベルを合わせている(時々ズレることがあって、適宜修正する必要がある。大抵は失望し、下げることになる)(言い換えれば、他人を見下している)
・自分のコミュニケーション能力が高いと思い込んでいる(実際は不明)
・ちいさなことで大喜びしたり、悲しんで泣いたりする
・感情が表出しないように抑えることは得意だが、抑え込んだ分のツケは必ず後で払うことになる(信頼できる人の前で激しく愚痴を言ったり、布団の中で大号泣したり。最近文章を書くことでうまく発散できている)

いくらでも書くことができる気がする。こうしてみると、自分がそれほど子供っぽくないように見えてくるが、実際はどうだろう?

おそらく「一般的な十七歳」より他者からは大人っぽく見えていると思う。「一般的な成人女性」の基準でいうならば、「普通」であると思う。

ではなぜ私は自分のことを「子供っぽい」と思うのだろうか? 不自然なポイントがあるとすると、そこにある。


よくある子供っぽさの特徴は「自己中心的」「利己的」というものである。

私は自分が時々かなり自己中心的で利己的になることを知っているが、逆に考えてどのような大人も、そういう部分を少しは抱えている。
周囲に配慮したり、他者を思いやったりする気持ちで、その利己心や自己中心主義的な考え方を中和している状態を「大人」と呼ぶのだと私は思っているし、それに関して言えば私も十二分に大人だと言えると思う。

自分のことはもちろん大事だ。でもそれが、目の前にいる人のことを無視していい理由にはならない。それくらいは分かっている。

でもこの「それくらいは分かっている」という頭から出てきた言葉は、どこか子供っぽい気がする。

尊大。自分のことを優れていると思っていて、他からそう思われて当然だと思っている。だから、自分が認めたわけではない相手と自分が対等に扱われることに、不愉快なものを感じる。

言葉は悪いが、自分より遥かに頭の悪い人間と自分を同列に扱われると、猿や犬と自分を同列に扱われた時と同じような気持ちになる。
かといって彼らを見下したいわけでもないし、イジメたいわけでもない。ただ関わりたくないだけ。本当に、猿や犬と同じようなものだと思ってるから、怖いし近づきたくない。

こういう考え方は子供っぽいのだろうか? でも実際、どれだけ真摯に、誠実に向き合ってみてもほとんど言葉が届かない相手はいる。そもそも相手が私のことを対等な人間だと見なしていない場合は、こちらもそう見なさいのがかえって対等になるのではないか?

うーん。ちょっと話が逸れたな。

とにかく、相手が他者に配慮できる人間ならば、自分も配慮をすべきだし、対等だと思って接するべきだと私は思っている。実際そうしているし、その点に関しては自分は成熟していると思う。

自分の優越性をアピールしようとするのは、おそらく人間の本能のひとつだと思う。子供というのは、その特性とうまく折り合いがつけられず、支配されてしまうことにあるのではないだろうか?
「あ、今私自慢しようとしているな」と気づいて抑えることができないのが、子供ということなのでは?
もしそうならおそらく私は、年相応にその中間点に立っているんだと思う。

無意識のうちに自分のことを大きく見せようとしているときは子供っぽいし、それを自覚して控え目になるのは少し大人っぽい。


ま、焦らなくてもいいんだろうな。


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