必要とされていないという事実

私は人から必要とされていないと思う。でも私は、誰かの役に立つだけの能力はあると思っている。

そして選択するのは私。私に迫っている危機は、いつだって「自由」という危機だ。
もし私が私の道を選ばなければ、私はどこでもない場所に放り出される。徹底的に自己を掘り続け、選び続けなくてはならない。

私の心は不安と恐怖でいっぱいだ。でも、ワクワクしている自分もいるのだ。

一番嫌なのは、何も起こらない事。自分が取るに足らない存在として死に至ること。私は私の存在を主張していたい。

こんな人間もいるのだと、叫んでいたい。私は正しいのだと、自信をもって笑っていたい。

自分の誤りを認めて改善し続けてきた。これからもきっと、私の「正しさ」がたくさん否定されていく。そのたびに私は、より正しくなっていく。もちろんそれは、私にとっての正しさであって、万人にとっての正しさではないけれど。
私は正しいのだ。正しくありたいのだ。そして私にとっての正しさはきっと、最終的に私が定めるのだ。

あぁこの世界に「凡庸」などないのだ。そんなのは幻想で、ちょっと気分が落ち込んだ人や、疲れている人が自分を卑下するときに使う言葉なのだ。

なんだかんだでみんな、いい能力を持っている。互いに笑い合って、高め合うことができている。ならば私は、この世を呪う必要なんてないのだ。

多くのことが私を傷つけ、苛立たせるけれど、そのたびに私は持って産まれたこの寛容さで許し、また愛そうと思う。憎んだ分だけ愛することで、この世界と私の間にある価値の天秤の均衡をとろうと思う。

私の言葉を必要とする人は、いると思う。私の言葉は固いのに暖かい。論理的なのに、感受性も決して欠けていない。

私はどんな悲惨なことがあったとしても、言葉にできないような残酷さがあったとしても、それでもこの世界には価値があって、生きる意味があるのだと思っていたい。
人間は平等ではないけれど、どんな価値の低い人も、そこに存在すべきなのだと、そう信じていたい。
かつて私の罪であった同情心や慈悲心に、幸あれ! 
私はこの世界に起きた全ての出来事を肯定する。あの人が殺されたことも、あの人が死んでしまったことも。
そうでなくてはならなかった。あぁ、それでも二度と起きて欲しくないのだ。それでも、救える人は救うべきなのだ。
あぁ……私はまだ私を許しきれていない。


私は私の文章の中で描かれている「自分像」ほど立派な存在になれていない。結局私の書いた文章は、どこか演技じみていて、実際の私とその姿が乖離してしまう。

「私らしい私」というよりも、「こうでありたい私」になってしまう。

時々私は、もっと素直に自分の文章が書ける人を羨ましいと思う。何も考えず、感情をそのまま言葉にして並べることができる人が、羨ましいと思う。
そうであれば、私はこんな風に意味のないことで悩む必要がないから。

そもそも私はなんで、私の悩みを人が見えるような場所に置いておこうとするのか。そこに小さな快楽が生じるのか。
ちょっと反応が得られただけで、顔はニヤつき、なんだか自分がいてもいいような存在であるような気分になる。全てが許されたような気になる。
まるで私が私のことを「いてはいけない存在」だと思っているみたいじゃないか!
私には価値があるはずなのに。他の人たちと同程度以上には、価値が認められてきたはずなのに、どうして私の中には「自分には何の価値もない」などというくだらない呪いが残っているのだろうか?
誰がそんなことを私に言ったのか。誰が私にそんな風に思うことを望んだのか。

いつの間にか入り込んだどす黒い憂鬱な魂は、いったいどこから来たのだろうか。いや分かっている。これも私なのだ。

きっと「こんな奴はいない方がいい」と誰かに思ったことがきっかけで、「私がそう思うなら、他の誰かも私に対してそう思っていると考えるのが自然だ」という推論に行きつき、そして「こんな奴はいない方がいい」という憎しみを主張したいがために、己の中に己を憎む気持ちが産まれたのだろう。

でも他者を憎まないということは、あまりにも難しい。私の大好きな人を自分のくだらない利益のために損なった人たちを、私はどうやって許せばいいだろう? どうやって……

あぁこの世界には、反省されていない罪がいくらでもある。法律で罰せない罪も山ほどある。許されていない罪が、数えきれないほどある。

私は目を背けられない。背けたくもない! 

せっかくのいい気分は全部、忘れていた憎しみを思い出すことによって台無しになる。台無しにすべきだったのだ。私の役割は、何? 私はどうすればいい? 何のために、私はこんな自分で在り続けるのだろう? 矛盾だらけで、歪で、それなのに真っすぐな私は。真っすぐ? 本当に?

逃げたいし、助けを求めたい。誰かが私を導いてくれるなら、私は嬉しい。でもそんな人はどこにもいないし、疑り深い私が、簡単に騙されることも考えづらい。

ただ私は、未来の私に私の全ての問題を丸投げすることしかできないのだ。今はただ、悩み嘆きながら、時々向上心を持って自分が書ける一番いい物語を書いて、満足するだけ。時々誰かが私を見つけて「まぁまぁいいじゃん」と笑ってくれるだけ。

私は一体何なのだろう。どこに向かっていくのだろう。教えてくれる人は誰もいないし、そもそも私は他者からの答えは求めていない。単なる落書きなのだ。私自身のための。

それでも、私の考えや予想に反して、誰かが私の文章を見て少しでも喜んでくれたら、私は大喜びすると思う。あぁ自分らしくそこに存在するだけで、誰かが喜んでくれるのだとしたら、私はそれだけで誰よりも幸せだ。

自分らしくあることが、とても難しい。私の存在は、受け入れがたい。


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