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ウニを下から上に移動するだけの簡単なお手伝い

漁師を親に持つと、他の人とは少し違った子どもの頃の思い出がある。
この前、妹と話していたら「ウニの貝焼き」の思い出話になった。

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いわきには、キタムラサキウニの身をホッキ貝の貝殻の上にのせて蒸し焼きにした「ウニの貝焼き」という郷土加工品がある。

我が実家も、初夏から初秋にかけてこの「ウニの貝焼き」をつくっていた。
「つくっていた」と、過去形になっているのは、現在は福島第一原発事故の影響で、操業機会を制限して加工場も集約してしまったからだ。

震災前は、ウニの貝焼きの時期になると、父が早朝から潜水漁でウニを採り、その後自宅の加工場で家族や近所のおばちゃんとみんなで加工作業をしていた。
夏休みはこの貝焼きのお陰で、どこにも出かけることができない。

だから私の夏休みの思い出といえば、ウニの貝焼きを作っている家族の傍らで宿題をしたり、絵を書いたり、自由研究をしたり、、、なんとも茶色い記憶だ。

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そんな味気ない夏休みの思い出だったが、貝焼きを自宅でやらなくなってしまった今になって、あの頃の光景や匂いがとっても恋しくなっている。
みんなで加工部屋に集まって黙々とウニを割り、身を取り出し、塩水で洗って、盛り付ける。たまに世間話をしながら。
その輪の中に子どもたちも自然に入り込むことができた。
何か役に立つわけでもなく、じっと見ているだけ。たまに手を出してみるけど、全然うまくできなくて、すぐにやめてしまった。
もっとちゃんとやり方を教えてもらえばよかった。あのときは、この夏のルーティンがこれからもずっと続くと思っていたから。

「私、早く仕事終わって遊んでもらいたくて、ウニをまな板に乗せる手伝いしてたんだよね」 
妹が、そんな思い出を語った。
「ウニをカゴからまな板に移動させるだけの簡単なしごと(笑)」

思わず吹き出す。
年の離れた妹は、私よりも貝焼きの仕事に関わっていたようだ。

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ウニを採るのも、貝焼きを作るのも、"腕"が必要な仕事だ。
潜水技術が上がるたび、貝焼きの盛りつけが上達するたび、市場での評価も上がる。
盛り付けの担当をしていた母は、そんなところにやりがいを感じてるようだ。
「私、貝焼きやるの好きなんだよね〜」
と話す。

ただ見ていただけの私だけど、そのやりがいや達成感を、なぜか一緒に味わうことができた。市場に並ぶ美しいウチの貝焼きがとっても誇らしかった。

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何もなければ、脈々と受け継がれたであろう夏のいわきの原風景だ。
潜る漁師が高齢化し、加工をできる女性たちが減り、海水温の上昇でウニの資源量も変わってきているという。

思い出ごと大好きな「ウニの貝焼き」は、このままなくなってしまうのだろうか。

参考)


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