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嵐に見舞われたとき。


6月くらいから
とてつもなく大きな不調の波にのまれていた。

これを書くかどうか、本当に悩んだけれど
でもきっと、これを読んでくれるあなたも
そういうことがあるかもしれないと思った。

誰に宛てるわけでもない言葉が
誰かの中に入ってくれるなら
それは紛れもなく希望だ。

だから
言語化することもきつい時期は越えられた今
書くことにしました。




外側からのダメージ
それに加えて、内側での疲労の蓄積。

大きな要因はあれど
それら全ての蓄積でバランスを崩して
ひとりの生活じゃないから
早く戻らなければと焦る気持ちももちろん
でもひとりの生活じゃないからこそ
ピントをずらせて
なんとなくやり過ごせているところもあった。


不調の波。
幾度となく感じてきたけれど
今回のバランスの崩し方は本当にひどくて
身体的にも精神的にもぼろぼろで。
でも内心、どこかで
この大きな波は、近いうちに去ると思っていた。
(わかっていた、に近いような。)

だからあまり足掻かないようにした。

流れに身を任せるしかない。
流れに委ねるしかない。
本気でそう思ったし、思えない瞬間も
なんとか自分に言い聞かせた。

だって、きっとそうだから。



嵐に見舞われたとき
灯りをつけようと無闇に走り回っては
割れたガラスで足が傷だらけになってしまう。
いざ灯りがついた頃に
その傷ですぐに動けなくなるくらいなら
じっと灯りがつくのを待ってみることも大事。


何かの本で読んだ、この言葉。


深く理解できるけれど
過去のわたしにはどうしても出来なかった。
嵐が来るたび焦っては
むやみやたらと走り回って
灯りを探して、また怪我をしていた。

嵐が去る保証なんてどこにも無いと
強く思っていたから。

でも、嵐はいずれ去る。絶対に。
綺麗事だと一蹴されるとしても、断言出来る。


だから、さっき書いた言葉のように
わかるけど出来なかったこと
簡単なようで難しいことを
やっと、やってみようと
やってみるしかないと思った。


不調の波に飲まれたなら
その波に乗ってゆらゆら漂ってみてもいい。
行き着く先で、何かが見つかるかもしれない。

そう思った。

けれど
そうは思っていても
やっぱりきつい。本当につらい。
しんどくて苦しい、長すぎる数ヶ月。

空回り続き。停滞、低迷、疲弊。
上がっては下がる繰り返し。
ストレスで浅くなる呼吸。


でもそれはきっと
まずは回復しなさいってサインのはずで。


だからまず、焦る気持ちを少しでも抑えるため
好転反応だと思うようにした。
スピリチュアルだろうが気の持ちようだろうが
そんなことはどうでもいいけど
焦るなって言われても脳の構造上無理だから
こんなめちゃくちゃなしんどさ越えられたら
めちゃくちゃなハッピーくるんじゃない?って
めちゃくちゃなことを言い聞かせ続けた。

実際、今までもそうだったしね。




あとは、とにかく正直に話した。
家族には特に。


今のわたしの状態、気持ち
本当はどうしたいのか。
思っていても、今はどうしても出来ないこと。

出来るかぎりの全てを話した。

どうやっても隠せないほどの不調だったし
なんか機嫌悪いの?って
よくわからない雰囲気だけ出すのは
すごく嫌だったから。


それに
こういう状態で、こういう気持ちだって説明と
今はどうしてもこれが難しいってヘルプ
でも本当はこうしたいんだって意思表示は
距離が近ければ近いほど、絶対に必要だと思う。

今までそれが出来なかったから余計に
必要さを感じたのもあるけど
大事な人とすれ違うことは
なにより一番、つらいことだから。



話したところで状況が変わるわけじゃない。
なにも変わらないけど
気持ちは少しだけ違った。

それはきっと、話す相手が大事な人であれば
友達でも誰でも、同じだと思う。

前に自分で綴ったnoteを
何度も読み返したりもした。


回復をしないまま
焦って走り回っていると、本当に悪循環で

停滞→焦り→空回り
のループにはまってしまう。
それは今までも痛いほど感じてきたし
今回もやっぱりそうなった時期もあるから
極力予定もいれずに
必要最低限くらいのやること以外は
出来るだけ回復に充てられるよう
自分自身を省エネモードにした。

自分が回復するためには何をすればいいか
何をしない方がいいかも意識したり。
(わたしの場合はひとりの時間をつくること、予定をあまり入れないこと、出来る限りスローで、ゆったり過ごすことが大きかったかも)



家族にフォローしてもらいながら
その分罪悪感も増えてしまったりするけど
それもまた話して、伝えながら
一歩進んで二歩下がる繰り返しでも
もどかしいほどのスローペースでも
やっと少し、上がってこれた気がする。


回復するって、すごく難しい。
ずっと自分だけが
止まってるだけな気がするじゃない。

だけど、本当は違くて
一旦止まって
"回復する"っていう行動をとってるんだよね。
それは絶対、必要なことでしょう。
長い目で見たら余計に。



人って、弱くて脆い。
だからこそしなやかに、逞しくなれる。
何度でもつくりなおせる。立ち上がれる。

しなやかで柔らかい強さを。
何度もつくりなおせる根気を。
立ち止まってもいいと思える優しさを。

わたしはこの先、持っていたいのだ。



言葉が出せないほどの日もたくさんあった。
少しずつ、本当に少しずつだけど
声を取り戻しつつあって
言葉が出てくるようになったのは
ついこないだの話。

わたしの中で、"言葉"はボルテージ。
低迷すると途端に浮かんでこなくなって
上がってくると脳内にぽんぽん出てくる。

自分のことで唯一
失いたくないと思うものかもしれないし
だからこそ他の人より
言葉が出てこない恐怖と焦りは
言い表せないくらいに大きいのかもしれない。


これを書き上げることも
かなり時間がかかってしまったけれど
これを書き上げられたことで
なんだかすごく、安堵したの。


家族と友人に救われる日々。

自分が過去綴った言葉に
はっと気付かされたりもして。

わたしはなにも失っていないし
失うことはないってわかったから
やっと新天地に向かえる。

回り道だろうと、道は道。
宝はもう見つけたけど
それら全部連れて、行きたい場所がある。


知らないことがたくさん。
知っていても出来ないこと
したことのないことがたくさん。

ネガティブもポジティブも
プラスもマイナスも全部含めて
わたしの大事な、旅の途中。

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