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鬱病と発達障害

鬱(うつ)病という言葉があります。発達障害という言葉があります。個人的にはどちらも「病」と「障害」という表現には抵抗があります。又 個性として持ち上げるのにも抵抗があります。病や障害といいますが健康や普通といったものの概念とは一体なんだろうか。協調性があってコミュニケーションをとるのが上手で明るくて、あたえられた社会環境で滞りなく生活できることを基準とするのが正しく普通でそれ以外は病で障害かということなのか?いったい目の見えない方、耳の聞こえない方、体のどこかを失われた方 又は機能しない方を障害者と誰が決めたか。

都市伝説レベル(真偽は不明)ですが世界的に有名な盲目のアーティストのスティービーワンダーさんが演奏中停電に見舞われた時、周りのミュージシャンは演奏を中断、しかし彼は演奏を続けました。困惑する会場で彼は「ヘイ、みんなどうしたんだい? 真っ暗で何も見えないって? そうか目が見えるってことはなんて不自由な事なんだ。」と言って場を和ませたという話を聞いたことがあります。

人の心は揺れ動きます。要因は様々で人によっても違います。能動的に体が動くのも心が元気だから。逆にしなければいけない事は山ほどあるのにやる気がまったく出ない。体が動かない時は心が元気ない時でしょう。

波多野菜央のデビューアルバム「太陽と月」の収録曲に「嫌われ者」という曲があります。曲をプロデュースする時には必ずどこかに希望や前向きになれる箇所を盛り込んで着地させることがよくあるのですが彼女がこの曲を持ってきた時の印象は「出口の見えない歌」でした。そんなに深くない、水面の上の光をわずかに確認できるくらいの深さでもがく姿を感じました。普段元気いっぱいの彼女からは想像できない曲。しかし光の部分が明るさを増すほど影の部分はより暗くなるわけで、そうかこの両面こそが波多野菜央そのものなんだと理解した曲でもありました。オリジナルのまま苦しみをそのまま表現する方向で曲を仕上げました。

あえて言うならそんな周りから変なレッテルを貼られていても「君は君のままで」いいんだよと自分の「痛み」だけでなく相手の「痛み」も知る事が大事なのでしょう。ありのままを認める事それは難しいことではありますが、その上でどんな行動をとるかは貴方自身の選択肢で選べばいいかと。

そんな波多野菜央の「嫌われ者」をテーマに脚本を書かせていただきPOD CASTショートストーリー&ミュージックとして番組を作成しました。ぜひお聞きください。Spotify Applepodcast Anchor  他 お使いの配信プラットフォームでお聞きになれます。「波多野菜央」で検索お願いいたします。


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