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水平線の向こうにも、海は続くから【8/2中日戦●】

ピンチを背負わないことよりも、背負ったピンチをどう乗り切るのかということの方が、ずっと大事だ、ということを昨日のnoteに書いた。

そう、それは人生においてもとても大切なことなのだけれども、でもたった一つのミスすら許されないクローザーにおいてはどうなんだろう、と、今日の試合を見ながら私は思う。

マクガフは「こんなに性格のいい助っ人は他にいない」とムーチョに言わせてしまうくらいの心根の優しさで、チームに溶け込み、文字通り、チームを救い続けてきてくれた。だけど昨日、たった1球の牽制ミスが、チームと、自分の負けにつながった。

人は誰もがミスをする生き物だけれども、それでも「失敗しちゃいけない場面」というのが必ず存在する。そしてクローザーというのは、基本的にその全てが「失敗しちゃいけない場面」なのだ。石山も、マクガフも、一時期のうめちゃんも、その大きすぎるプレッシャーを背負い、そのマウンドに立つ。

打たれちゃいけない場面で打たれてた時、ミスしちゃいけない場面でミスが出た時。見ているこちらはもちろん「なんでやねん!!」と、思う。軽く絶望だってする。

でもそんな時、例えば先日のこんちゃんがサヨナラを打たれた試合で、グラウンドに向けて頭を下げるこんちゃんの姿を目にする。そして、そんなこんちゃんの肩をポンと叩く、カツオさんの姿を見る。ああダメだ、責められないじゃないか、と、私は思う。いつだって、ゲームだけじゃなく、誰かの気持ちに少しだけ触れた瞬間、言いようのない思いを、こちらも抱く。

後ろに行けば行くほど、そこではミスが許されない。この間のこんちゃんも、今日のマクガフも。だけどもちろんみんな、そんなことはわかっている。言われなくたってその場面が、どういう場面なのかなんて、わかっている。わかっていたって、打たれることもミスをすることもある。

そして私は、みやさまの本に書かれていた、古田さんの言葉を思い出す。

「最後は命をとられるわけじゃないんだから」と。

それはもちろん、ピンチを迎えた時の心持ちの話だ。どんなピンチだって、最後は命をとられるわけじゃない、と、開き直ってプレーするための言葉だ。つまり今日の試合で言えば、マクガフが牽制をそらしてしまった後、持つべき心持ちだ。

だけどまあ、昨日はそのまま、ミスが失点に響き、チームは負けた。こうなってしまった時にまたあえて、私は同じことを思う。「命をとられるわけじゃない」と。ヤクルトが負けても、また今日だって負けても、また1点差で、また終盤のミスで負けたとしても、それでも命をとられるわけじゃないのだ。試合も、日々も、明日もまた続いていく。

オープン戦であれほど打たれまくって、コンディション不良になり、二軍の試合にも出ていなかったほしくんは、昨日3イニングを素晴らしい投球で無失点に抑えてくれた。「今、投げられているということは、2、3か月前の自分のことを考えれば、幸せです」と言葉にした。

日々は、続いてゆく。今日ダメだった人が、明日や明後日、2ヶ月後や3ヶ月後、もしかしたら1年後に、またしっかり良い仕事をすることができる。今日の負けは、「終わり」なわけじゃない。そこが、スタートになることだってあるのだ。

勝っても、負けても、本当はそこで終わりではないその物語を、私たちは抱きながら生きてゆく。

水平線の向こうにだって、本当はずっと、海は続くのだ。



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