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不寛容な世界の、平等な場所で【6/21ロッテ戦⚫️】

8点だか9点だか10点だか11点だかをとられたイニングのあと、通路を歩きながらむすめに「明日はママと二人で神宮だよー」と言うと、むすめは「やったー!」と、にこにこ言った。うしろを歩いていた、赤ちゃんを抱っこした外国人のパパさんが、むすめを真似して「ヤッター!」と叫んだ。私は赤ちゃんがつけていたつば九郎のスタイを見て「そーきゅーと!」と言って笑い、外国人のパパさんは「カノジョもね!」的なことを言って笑ってくれた。

みんなにこにこしていた。まったくヤッターでもそーきゅーとでもない展開だったけれど、とにかくみんなにこにこしていた。

前に座ったのも、外国人親子の団体だった。パパは、幼い男の子に、何か起こるたびにそのプレーについて説明していた。良い守備があれば拍手をし、おっくんのホームランで飛び上がり、もちろん東京音頭で傘を振っていた。そして最後に古賀くんがフライを打ち上げ、相手のセカンドのミットにボールが収まった瞬間、Oh…と少しだけ寂しそうに呟いた。

生まれた国が違ったって、話す言語が違ったって、野球というのは同じルールのもとみんなが楽しめるんだよな、と、なんか当たり前のことを私は思う。パパは赤ちゃんを抱っこしたり、娘にルールを説明したり、そしてビールを飲んだりしながら、各々野球を楽しむ。みんな、みんな同じだ。

言語が違っても、同じ野球を楽しむことができる。それは選手たちも同じだ。生まれた国が違っても、野球という世界共通のスポーツの下、みんな同じようにプレーすることができる。国が変わっても、そこが生まれた場所から遠く離れても。

でもそれでも、言葉が通じない国で、プロの選手としてプレーするというのは想像以上のしんどさがあるのだろうと思う。家族がともにいるならば、より一層、そのプレッシャーは大きくなる。

ブキャナンはとてもとても紳士だ。家族を、そしてファンをちょっと信じられないほど大切にしてくれる。「あんなジェントルマンな助っ人は見たことない」と相手チーム主催試合での実況も言うくらいに。

だからこそきっと、今がつらいだろうなと思う。そして言語が違うブキャナンに、かけてあげられる言葉はきっとそんなに多くない。𠮟咤も激励も、そんなにすぐにはかけられない。マウンドという孤独な場所に立つブキャナンを、奮い立たせられるような、そんな言葉を、みんな持ち合わせていないかもしれない。

だけど、誰に対してだって、もうダメだと切り捨てる言葉だけでコミュニケーションはとれない。それは根っこの言語が違っても、文化が違っても同じだ。

いろんな糸が絡み合い、思惑があり、不寛容さにあふれ、おそらく公正だとはいえないこの世界で、それでも野球というスポーツは、そこに立つ人も見る人もみんなが等しく楽しめる。実力さえあれば、生まれも育ちも関係なく、そのグラウンドを目指すことだってできる。

ブキャナンは去年何度も、チームとファンを「カゾク」だと言ってくれた。そして助っ人外国人たちをチームに溶け込ませてくれた。この、言葉が違う国で。生まれたところを遠く離れた国で。

そこはとても孤独な場所だ。でも、それでも、そこに集まる人たちが、同じところを見て、同じものを目指して、苦境を乗り越えていくこともできる、そういう場所だと信じたい。ブキャナンがそこで投げ続け「カゾクだ」と笑ってくれたことに助けられた試合が何度もあったように、誰かの言葉が、ブキャナンを助けてあげられると信じたい。

なかなか、なかなかうまくはいかない。でも、「ヤッター!」とにこにこ笑いあえる、そういうコミュニケーションが取れる、そんな場所で、いつだって野球が楽しめたらいいなと思う。プレーする人も、見る人も、国が違っても、みんな、みんな。


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