正義感という名の暴力
4/17 全国的な緊急事態宣言が出された。これは異例なことではあるが個人的にもっと早い段階で踏み切ってもよかった、強制力がいまだに弱いとは感じる。
私が住んでいる沖縄県もコロナウイルス罹患患者が徐々に増え始めている。
観光業メインで成り立っている沖縄県は観光客の受け入れをかなり大切にしておりそこが財源として重要な要素の一つであることは誰もがわかることであるが今回はその結果県民が苦しんでいる現状もある。
卒業、旅行シーズンであったことも運が悪かった要素の一つであろう。
「楽しみたい」という気持ちで起こした行動が間接的に誰かを苦しめることになっている。これは否定できない事実。
国や諸外国の被害を受けた人たち、研究者たちが声を揃えて言います。
「Stay home!!」 「家にいろ!!」 「自粛!!」
ですね。もう聞き飽きたって方も沢山いるでしょうね。
これは僕も賛成ですし、不要不急の外出は避けるべきだと思う。
そういった行動を取ることは他人に迷惑をかけることになる。医療従事者としてもやめてほしい。
沖縄での症例も県外、国外からの持ち込みであったため、上記行動に対して非難、イラついていたのは本音である。
しかし最近思うのが、自分の美学、自論を振りかざして他人へ攻撃する人が目立つ、ということ。
例えば「自粛すべき!」という正義感。これは間違いではない。ただ今の日本の法律や政府の方針では強制力がない。その現状で気にせず外出をしている人、やむなく外出をしている人がいる。
そういった人たちを善意のつもりで叩いている光景をよく見るのだ。
最初は僕もそっちよりではあったけどだんだんと加熱、炎上する場を見ているとこっちの熱が冷めることが多々。
「ニンゲンッテコワイ」
今恐ろしい猛威を振るっているのはコロナウイルスだろう。
しかしこのウイルスによって人間の本質が見え隠れしている気がする。
政府批判に関してもそう。
もちろん補償に満足は言っていないしもっとこうすべき、という意見はある。もちろん政府の動向に批判をして声を上げるのも国民の仕事であり権利である。
ただ政府もやってくれている対策はある。のに関わらずニュースを見て荒げた声を上げている同僚を見て引いてしまうことも。
人って脆い、弱いもんだなってひしひしと感じる。
「人という字は支え合ってできている。」
どっかで聞いたことあるフレーズを信じていたかった自分に気付く。
自分の欲を満たしたいだけの人らが多くいるように感じる。
コロナの蔓延で生命の問題は別として私の信じていた人間像も崩壊していく。
現在はもちろん「コロナウイルスの終息」を願っているし、これの対策が政府としてだけでなく人類として最優先事項であると思う。
ただウイルスが終息しても経済的な社会問題、就業に関する問題、医療制度の問題、この期間で心身にダメージを受けた人への補償、サポートの問題。
コロナウイルスをきっかけに多くの問題が出てきている。
叩くべき(取り組むべき)なのはこの問題についてである。
正義感を振りかざして他人を攻撃するより個人やその周囲を守り、より良い社会復帰に向けての案を考え、それに対しての取り組みに力を入れる方がよっぽど良い。
これも私のエゴであり正義感かもしれないが。
宗教とは無縁だし神の存在も信じていないけれど「これは人に与えられた試練だな」と最近思うようになってきた。
これからどうなっていくかは誰にも予想はできないだろうが…
人が人を陥れていく光景、自己欲求を満たす為だけに他人に危害を加える人が増えること、だけは見たくない。
これは切に願う。
こっからが正念場。
みんなで打ち勝とう。
よろしければサポート、又はこういう活動をして欲しい、一緒にしたいというアイデアもよろしくお願いします。みんなで幸せに!