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桃太郎の話が教えてくれること

ここ数年、気になっていることの一つに、子供の心が殺伐としていること、そして家庭内に異常な現象が増えていることがあります。

そういうご相談を受けることも私の仕事なのですが、実はそういう問題を抱える家には共通項があります。
ご相談をいただく家族の方は「なぜうちの子が?」とか「うちの家だけが?」と言われますが、決して偶然ではなく、問題は起きるべくして起きてきます。

個々の問題は、それこそ人それぞれに原因がありますので、ここでお話するわけにはいきませんが、今回は子供の心が失われた原因として、最近の子供は「童話を読まない」ということについてお話したいと思います。

童話というのは、子供の心と潜在意識に、実にたくさんのことを植え付けてくれます。人を思いやる心であったり、正義であったり、親子関係であったり…、こういうことをストーリーの中に盛り込んで教えてくれました。

ところがいつしか童話を読ませたり、聞かせたりする習慣が失われました。いろいろ理由はあるようですが、私は子供のときに「心の栄養」を与えることは必要だと思います。

数年前にアメリカ出身の方と話しているときに「日本では親が子供を殺したり、子供が親を殺したりするのですか?」と聞かれたので、「アメリカではどうですか?」と聞いたところ「絶対にありません!」と言い切りました。
ニューヨークの貧困地区でも、親子の関係は絶対だそうです。

興味があったのでいろいろ話したのですが、アメリカでは「心の教育」をするメカニズムが社会の中に組み込まれているのです。
それを聞いたとき、私は日本人として恥ずかしくなりました。

さて、今回は代表的な童話「桃太郎」のお話をしたいと思います。

桃太郎のお話は、(最近の子供はどうだか知りませんが)誰しもが幼い頃に触れ、絵本などで知っていると思います。

桃から生まれた桃太郎が、猿とキジと犬をお供にして、鬼ヶ島に行き鬼退治をする話です。誰もが知っている話ですが、実はこの物語には、実に深い意味があります。

桃は古事記でも、穢れをとる果物として書かれています。
太郎は男の子ですから、桃太郎は「穢れをとる男の子」です。

鬼は牛の角に、トラの毛皮を身につけた人ですから、方位の丑寅のことを表しています。丑寅は陰の世界で「潜在意識」を表します。
ちなみに丑寅方位のことを「鬼門」と言います。

そこにつれていったのが、猿とキジと犬です。
方位では申(西南西)、酉(西)、戌(西北西)で隣り合っており、陽の世界で「現実」を表します。

つまり、桃太郎は陰の世界と陽の世界を中和させ、中庸というバランスが取れた世界を実現する話です。

桃太郎が猿とキジと犬に与えたのは「きびダンゴ」です。
これは食べ物のダンゴではなく、正しくは「気霊(きび)団子」で、真心を与えたということです。
西は攻撃本能を表しますから「心を与えてたしなめた」ということです。

さて、鬼ヶ島についた桃太郎は、鬼が謝ったら許してやりました。
やっつけはしなかったのです。
やっつけることは「鬼征伐」ですが、桃太郎は「鬼退治」をしました。
「治めて退いた」のです。鬼を、許すことで改心させたのです。

こういうことを桃太郎は教えてくれているのです。


今回は、なぜこんなお話になったのかを、算命学的に紐解いてみましょう。

ちょっと難しくなりますが、「子供相手に適当に作った話ではない」ということが伝われば大丈夫です。

まず「桃」という字は、「木」に「兆:ちょう」と書きます。
「木」は五行でいうと木性の生命のあるもの、つまり人間です。
「兆」はきざし、前触れ、占いを表します。
「太郎」は男の子の名前、つまり「桃太郎」という男の子の将来を意味するお話です。

「桃」は春に芽が出て葉が茂り始め、春から夏にかけて花を咲かせ、夏になると実をむすび、そのまま自然に実が落ちます。

桃太郎は春に生まれ、夏には立派な若者に育ち、秋にはかねてから村民を苦しめていた鬼を退治にと出かけます。秋は申月、酉月、戌月です。お供にさる、きじ、いぬを従えての出発です。

鬼ヶ島には荒波を乗り越えて、やっと辿り着きます。
寒い冬の亥月、子月、丑月を越えるところに鬼ヶ島があります。
つまり鬼門です。鬼門は丑寅の方向です。
この丑寅を越えて、やっと春がやってきます。

鬼門は太陽が通る道。つまり天の気が入るところです。
天の気を妨げる「鬼」を退治することで、一家の安全を願うことができるということです。

鬼を退治して鬼ヶ島を出る頃が春。海を越えて村に着く頃が夏の終わり。未申の裏鬼門です。

丑寅を越えるということは、一年の終わりが「丑:1月」で、一年の始まりが「寅:2月」ですから、前の一年を乗り切って、次の一年を迎えるところです。

桃太郎のお話は、一家の安全を願うと同時に、その家の男子、特に長男を想い、無事に一年が過ごせますよう願った民話ということのようです。

※鬼門・・丑の角に寅のパンツを履いている

※退治・・一歩退いて治める

※鬼・・現世に生きている人の持つ「魂」。その「魂」から「云う」という字を取ると「鬼」になります。ということは、もの云わなくなった「魂」が「鬼」であれば、それは先祖になります。その「鬼」に対して、一歩退いて治める「鬼退治」ということは、先祖に対して一歩退いて治める、これは先祖の幸せを祈る事です。

このように童話には実に深い意味があり、それを堅苦しくせず、自然に受け付けてくれます。

最近は、変な正義感を持った人たちが、童話の内容を変えているようですが、子供の心が失われたのは別の原因であって、何百年も続いてきた童話のせいにするのは本末転倒です。

最初にお話した、殺伐とした家庭の原因の共通項の一つに、このことがあるのは、まぎれもない事実なのです。

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