「所有」の仮面、「共有」の喜び

昨日の江戸時代の「性」意識と豊かな「文化」の記事を書いた後に感じたことを書いてみます。昨日の記事で、お風呂が一人一人の家になかった当時は、銭湯に行くことが多かった(そしてそこが混浴だった)ということを書きました。現代は風呂なしアパートなどもあるでしょうが、ほとんどの家庭にお風呂はありますし、銭湯の数も減っていることと思います。お風呂だけでなく、あらゆる生活に必要な家電などもすべての家に常備されるようになり、世帯構成人数も減り、一人暮らしの単身世帯や核家族世帯が多数を占める世の中になりました。

世の中や社会が変化するのは、テクノロジーの進歩によるところが大きいのだなと感じます。テレビが家庭に一台なかった時代は、テレビがあるところへわざわざ行って観たりしていたこともあっただろうし、洗濯機が普及していなかった頃はコインランドリーが活況だったこともあったと思います。コインランドリーは今また人気の兆しが出ているそうですね。生活に必要なものが大量生産できるようになったことで、一つの世帯にすべてそろって当たり前になり、「個」の分離の意識が強まったのだろうなと言うこと。今では家にテレビが数台あったり(実家はそうです)、スマホで動画も楽しめるので、家庭で一つのテレビを観るということも減ったかもしれません。家族の中でも「個」の意識が強まってきている、そんな世の中なのかなと感じています。

「個」の分離の意識が強まることと「所有」「独占」「競争」の意識が高まることは同時並行なので、個人化が進むにつれ「これは私のもの!」「ここまでが俺の敷地!」といったように、「財産を失いたくない」と守りに入ってしまうし、閉じた意識になってしまいますよね。全体的にハートが閉じているので、人付き合いもおっくうになりますし、誰かと助け合うというよりは、「みんながライバル!」「取られないように守ろう!」「損しないように生きよう!」という、ぎすぎすした意識になってしまいます。以前から何度も書いているように、「所有」の概念についても、大きな転換期を迎えることになるだろうと思っています。

経済成長が止まり、資本主義が行き詰まるとともに、庶民の大多数の人々はますますお金を得ることが難しくなっていくことと思います。お金のない若者、貧困、苦しい子育て世帯。大企業も立ち行かなくなり、景気は回復しないまま。そうなってくると、生活費を減らすためにも共同生活、シェアをした方が良いという発想は必ず出てくるし、現にシェアハウスやカーシェアリングなどもありますからね。「個」の分離した意識で心を閉ざして生きるのは苦しいもので、誰しも本当はハートをオープンにして、豊かな人間関係を築いてみんなと仲良く楽しく暮らしたいという欲求はあるものです。赤ちゃんを見てみればわかりますよね。ハートがオープンで純粋に人生を楽しんでいる赤ちゃん。今誰にも心を開けず閉じこもりがちな人も、大人になる間に「条件付けの愛」の世界で揉まれるにつれ、心を閉ざし、かたく守りに入ってしまっただけなんです。

話が飛びまくって恐縮ですが(笑)、最近新たに加わった趣味、ボードゲームをしているとそのことを本当に強く感じるんですよね。みんなで顔を合わせて初対面の人同士でも時間を忘れてわいわい楽しんでいるのを見ると、「誰しもみんな、ハートを開いて人と交流して過ごす時間は楽しいよね~」と思うのです。共同創造の時代のキーワードは「共有」「シェア」であり、それは物理的なモノの面でも、時空間の面でも共通の概念だと思います。ぎすぎすした「個」の意識は、単なる「仮面」であって、本来の人々はみんな愛にあふれていてハートを開き、豊かな人間関係の中で楽しく過ごすことに幸せや喜びを感じるもの。「所有」「独占」の閉じた意識よりも、人々と「共有」「シェア」する方が実は大きな喜びが得られる、実はそれが人間の本質なのだと思います。

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