自分が欲しいものをとことん創造する

私は以前から「他人に受けるようなものをリサーチし、汲み取ってサービスを作ろう」といった世にあふれる方法論に疑問を感じていました。「こういうものが受けそうだ!売れそうだ!」と熱心に調査してそれにそったモノやサービスを作るという手法はどこの業界でも当たり前のように行われています。確かに他者のニーズや時代の流れを汲まなければ独りよがりなものとなってしまいそうですし、自分達のこだわりだけでは世間においていかれてしまいそうな感覚はありますよね。

ただ、やっぱりそうやって熱心に調査されて頭で計算して作られたものって、ある程度は売れたり流行ったりするんですけど、パンチに欠けると言いますか、あんまり愛とか情熱みたいなものを感じないものだったりもするんですよね。例えばあらゆるチェーン店ですと、どこでも同じような価値を画一的に提供できることに価値がある一方で、どの店も没個性的で、あまり愛や情熱を感じる商品やサービスというのはありません。チェーン店ばかりがはびこる街がつまらないのはそのためでしょう。それもこれも、企業が売り上げ重視になるあまり多くの店舗を出店することを良しとし、コピーを量産して陣地を獲得するような戦略を取ってきた結果なのでしょう。

以前に、過去の「普通」は参考にならないという記事を書きました。この記事では、有名音楽プロデューサーの中田ヤスタカさんと米津玄師さんのインタビュー記事を取り上げ、中田さんが他人の音楽など参考にせず、ひたすら自分の聴きたい音楽を創り続けていたことから気づきを得ています。また、昔から大好きな星野源さんも、どうやったら売れるとか考えず、自分の創りたいもの、聴きたいものを徹底的に追求していると語っています。資本主義の世の中では、どうしても「売れる」ことを最優先に物事を考えがちになり、自分の創造性に制限をかけ、限界突破できない状況になることも多いです。しかし一流のアーティストの方々の作品の創り方を見るに、売れるかどうかではなく、自分が聴きたいもの、自分が創りたいものにこだわっているという事実は間違いなくあります。創造性が一番発揮されるのは「愛」や「情熱」が原動力となったときであり、他者受けを意識した「頭」や「エゴ」からは創造性は発揮されづらいものなのではないでしょうか。

少し話題はずれますが「なければ創ろう!」という柔軟さという記事に書いたことにも関係があります。世の中に聴きたい音楽がない…「なければ自分で創ろう」、面白い文章がない…「なければ自分で創ろう」、安全でおいしい料理を提供するカフェがない…「なければ自分で創ろう」。世の中にある素晴らしい価値を提供する一流の方々の一番最初の原点は、「なければ自分で創ろう」であったと思うんです。それこそが「新しい価値を創造する」ということですし、これからの時代にますます求められる概念だと思います。自分ではない他者、というよりも、ある意味「過去の自分」のニーズにこたえるという意味に置き換えても良いかもしれません。「聴きたい音楽がないなー」と思っていた自分を喜ばせるような音楽を作るとか、私だったら「体調不良の時にこんなことをまとめて学ぶことができたらなー」ということを思い出してその当時の自分を喜ばせることができそうな講座を作るとか、そういったことです。

星野源さんが曲作りのアイデアを得るためにしていることは「曲作りのために音楽を聴かないこと」だそうです(星野源『YELLOW  MAGAZINE』より)。人間の創造性が一番発揮されるのは、自らの魂とつながり、ハートの声の欲求(こんな音楽が聴きたい!)に正直に、忠実に生きている時なのだと思います。「そりゃあ中田ヤスタカや星野源みたいな才能があれば良いけどさ」と多くの方が思うかもしれませんが、彼らの一流さは才能だけではなく、そういった意識にあるのだと思います。才能がある人や演奏が上手な人は五万といる、そのなかでひときわ輝くのは、自分のハートの欲求に従って、自分を信じて創造し続けた人なのです。私はそれを確信しています。これを機に自分自身を振り返り、自分自身のベストな資質・創造性を開花させるためにもう一歩前進していこうと思いました。

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