家族が利害関係者すぎるから、縛り縛られる

前回のなぜ親は子に「勉強しろ」と言うのかという記事の続きで、今回も家族や親子関係のことを考えてみたいと思います。前回の記事では、親が子に「勉強しろ」と言うのは、将来ちゃんとお金を稼いでほしい、老後を支えてほしいといった思いが根底にあるからなのではないか、と書いたのですが、そう考えた時に、家族というのは愛だ絆だと言うけれど、結局経済的な絆というか、縛りというか、そういったものが強い集団なのだなと感じたんですね。家族で独立して生計を維持しなければならない度合いが強すぎて、極端に言えば構成員を金づるとしか見ないような、それで結果的に愛が育まれないような「構造」を持っているのではないかとも思いました。そしてその傾向は、グローバリズム拝金主義が進展するほど強まるものです。

これは前から疑問に思っていたことで、生活保護の扶養照会や奨学金の連帯保証人制度などを調べていた時にも同じようなことを思っていました。とにかく、「公」はお金を出さない、増税や徴収だけは熱心な癖に庶民が困ると「自助自助、家族で何とかして」と言うものです。「公」は吸い上げてばかりで、庶民に還元しないので、人々の生活は苦しくなる一方で、家族における経済的問題というのも大きくなっていきます。新たな家族を築くためにまず行う(ことが多い)結婚に際しても、女性が男性を選ぶ際の条件として「年収」は欠かせないものだと思います。また、相手との不和を感じても経済的な理由で離婚できない女性も多いようです。子どもを保育園に預けてでも働く女性が多いのは、単純に家計が苦しい…ローン返済や子を大学まで行かせるためにお金がかかる…こともありますし、女性の収入がなくなると男性の収入に依存せざるを得なくなり、立場が弱くなるからといった理由もあると思います。

私の基本思想として、「普通に生きること」のハードルは限りなく下げていいというものがあります。今の社会においては、普通に生きられるかというのはあまりにも個々の家族の状況によるところが大きすぎると思います。まずは、正規・非正規に関わらず、どんな職に就いても普通に生きられるだけの賃金を保障すべきです。また、子育てについても、もっと「公」が負担すべきだと思います。児童手当の増額や給付型奨学金など、やれることはたくさんあります。老後の面倒も「公」が手厚く支援すれば、子に経済的な期待をかけることもなくなるのではないかと思います。

ただ、家族と経済的な問題において難しいなと思うのは、家族で生計を維持するからこそ絆が芽生える面もあり、一人一人が経済的に完全に独立し得るのであれば、家族を構成する必要があるのかという疑問も沸いてくるところです。もし仮に本当にこういった方向に世の中が進んでいくとすると、困ってしまうのは男性の方で、男はいらないから子どもだけほしいという女性のニーズが高まり、精子バンクビジネスが盛んになっていく可能性もあります。今の社会は男性の給料を高くし、男性がATMとして必要とされ女性を依存させるような社会を、男性がわざと作っていますから、その裏返しですね。必要以上に家族に縛られることもなくなるし、「家族ガチャ」的な要素が減っていくことにはなるでしょうが、家族という形態そのものが揺らいでいくかもしれません。一方で、年収やお金に縛られずに本当に合う相手と結婚し、子に「勉強しろ」などとガミガミ言わず、愛情深い家庭を築いていくことも今よりしやすくなるかなとも思います。もちろん私は後者を増やしたいがための社会の在り方を考えているのですが…。

夫婦や親子の絆や愛をより深めるためには、相手を利害関係者、金づるとして見るのをやめた方が良いと思い、そのためにはどんな仕組みなら良いのだろうと考えてみたのですが、仕組みだけでも解決しないかも、という思いも沸いてきました。仕組みによるところもかなり大きいけれども、結局は自分自身が何を大事に思い優先するか、どんな意識で生きるのかということが全てなのかもしれません。「お金お金」の世知辛い世の中ではありますが、そんな中でも「愛」というものを知りたい、深めたいという思いで生きていこうと改めて思った次第です。

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