「普通に生きること」のハードルは限りなく下げていい

大学や教育について考える記事を書くつもりでいましたが少し脱線して、私の根本的な社会に対する考え方を書いてみたいと思います。大卒も共働きも、「当たり前」になると苦しい という記事にも書いたように、今の私たちの社会は、「普通に生きる」ということのハードルがものすごく高いように感じています。大学に行かなくても普通に就職して家庭を持てるだけの給料がもらえる、子育てに専念したい女性が働きに出なくても生計を維持できる。そんな社会の方がずっと生きやすいというようなことを書きました。

私自身はどんな人であっても、「普通に生きる」ことが当たり前であってほしい、みんなが幸せで豊かに生きられたらいいと心から思っています。過去に「弱肉強食社会」を支持する愚か者という記事にも書きましたが、なぜ「知性を持った」人間の社会でまだ「弱肉強食」なんてやっているのだろう?といつも疑問に思っていました。こんな人は生きていてもいいけど、こんな人は生きていてはダメ、幸せになってはダメ、というのはないはずなのに、世の中の風潮に振り回されていると、社会的弱者と呼ばれるような人を安易に批判したり、排除したりする傾向が生まれてくるように思います。

ここで昨年読んでいたユートピア小説をご紹介します。『顧りみれば』(ベラミー 著、 山本 政喜 訳)というアメリカ人作家が書かれた本です。今は絶版になっているようなので興味のある方は図書館などにあるか調べてみてください。1888年に刊行された本で、1887年に眠りに就き、2000年の世界で目が覚めてしまった主人公が、その世界を目の当たりにし、1887年に当たり前とされてきた社会の価値観や風潮のおかしさを突きつけられるような、そんなお話です。内容的には小説というより社会思想の本と言えると思います。

この小説の中で描かれる2000年のユートピア世界は社会主義的ではあるのですが、今の我々が当たり前と思っている価値観が実はそうではなく、異常なものなのかもしれない、と気づけるようになりますし、柔軟な考え方・発想ができるよう刺激してくれる内容だと思います。この小説に出てくる社会のしくみの中で一番良いなと思ったのが、「国民の年々の生産のうちの各人の分け前に相応するクレジット(お金)が年に一度与えられ、それで必要なものを公営倉庫からいつでも買える」というものでした。なるほどな、と思いました。その根底にあるのは、「国があらゆる国民のゆりかごから墓場に至るまでの、栄養と教育と快適な生計を保障する」という思想なのだそうです。

また、労働に適さない人(病人、障害者など)、自活できない人に対する差別意識のある1887年から来た主人公に対して、2000年に生きる人はこんなことも言います。

「人が国の食卓で食べる権利は、その人が人間であるという事実によるのであって、その人が最善を尽くしている限りは、その人のもっている健康と力の量によるのではないと。」(p129 旧字体は新字体に改変)

また、人々は相互依存して生きるものであって、本当の意味で自活している人などいないのだと諭します。労働のしくみについても色々と書かれているのですが、能力や才能の差があるのは当然として、各々がそれぞれの最善を尽くすことが重要だというような思想が根底にあるようです。

私も同じように考えているので、2000年の人に「そうだよ、その通りだよ!」と言いたくなりました(笑)。個別の社会の制度をどうするかは検討の余地があるとはいえ、根本的なものの見方として、「誰もが当たり前に快適な生活、教育、医療などの社会インフラを享受できるようにしよう」という方向性がぶれなければ、おのずとそのようなしくみになっていくと思います。1887年から現代に至るまで、そんな当たり前の考え方に違和感を感じてしまうほど、支配層による悪魔的洗脳が末端庶民にまでいきわたっていて、弱者差別、弱者排除的な風潮が助長され、そのような社会制度も広く受け入れられてしまっています。

現代では、経団連企業もしくは官公庁の正規で働く人と、そうでない自営・中小企業や非正規との給料や福利厚生面での格差が激しく、それが大卒信仰を生み、奨学金地獄と(ブラック)企業奴隷化が進んでいるように思います。いわゆる「普通に生きる」ためには、突出した能力やコネの持ち主でない限り、大企業や官公庁に入るのが一番の近道ですからね。それでも若いうちは奨学金があったり、家賃や税等の負担も大きく、「普通に生きる」水準にはなかなか達しないと思います。ただ生きるということがこんなにも苦しいものになってしまったのは、個人店や自営業を中心とした自給自足的な社会から、大規模資本、労働集約型の賃金労働・拝金社会(グローバリズム)に変わってしまったのが大きな原因ですね。社会を変えるのは無理だと諦めてしまいがちですが、現代の風潮に疑問を持ち「どんな人でも当たり前に幸せに豊かに生きていっていいんだ」という考えで生きる人が増えれば、世の中は少しずつ明るい方へ向かって行くのではないかなと思っています。

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