本当なら今日が初めての出勤日だった。そんなバイト先をもうすでに辞めている。 初めてのことだ。一度も出勤することなくバイトを辞めることは。今回はいけると思ったんに、ダメだった。いや、今回も、か。 バイトを始めようと必死になって求人募集を見ていたのは今月の頭ごろ。どうしようもなく退屈な毎日を埋めたい気持ちと、もうどうにでもなれっていう気持ちでバイト先を探した。 応募したのは3社。1社目は折り返しの連絡が来たと同時に辞退のメールを送った。2社目はそもそも折り返しの連絡が
お久しぶりです、むんむんです。ここしばらくnoteを書いていなかった理由は単純に気乗りがしなかったのと暇だけど時間がなかったからです。またちょこちょこ日常のことを書いていこうと思います。よろしくお願いします! 働かなくなって半年以上が経過したことに驚きを隠せない。働くのをやめてから働こうとは思ったことがない。働かなくてはという焦りからアルバイトに応募したことはあるが結局面接にもいかなかった。なぜなら人と話せないからだ。 人と話せないというのは人と話すのが怖いというこ
2歳離れた弟が以前失踪したことがある。すぐに見つかり、そこまで大ごとにならなかったということをその後しばらく経ってから知った。 「むんむんみたいじゃなくてごめんね。」 実家に連れ戻された弟はそういったそうだ。そのことを祖母はよくわたしに言う。弟はわたしに引け目を感じているんだと。 わたしは運が良く学校という環境にはびっくりするほど適応できたくちなので成績はずっと上位だったし生活態度も指摘されたことがなかった。当たり障りがなく勉強ができることは先生にとって優秀な生
2時間ほど良く泣いた。久しぶりに涙を流したが、泣くというのはあんなにも止まらないものだったか。 彼とは知り合って2ヶ月ほどだった。初めて会ったときからお互いに何となく同じにおいを感じ急接近して、体の関係をもつまで時間が掛からなかった。 けれどわたしたちはお付き合いはしていなかった。お付き合いはしていなかったけれどデートもたくさんして周りから見たらカップルと思われていただろう。 そんな彼に「どうしたら付き合えるの?」と地雷のような質問をしたことがあった。酔ってベロベ
ただいま絶賛うつ中なのだが、(軽)躁があった心当たりがない。そのために困惑している自分もいるがよくよく考えたら、軽躁があったっぽい。 先月の中旬くらいから必要以上に人に会いに行ったり、新しい出会いを求めて積極的に行動していた。急な予定にもすぐに対応して(いわゆるフッ軽)片道1時間くらいのところなんかにもほーいと行っていた。まあそれが、性的逸脱にもつながるのだが、そこに関する貞操観念もガバガバになっていたしそれを求められても何も嫌悪感を感じなかった。 人と会うことが増え
今、とてつもない衝動性に駆られている。対象はアルバイトの応募だ。 わたしは現在、双極性障害とASDにより仕事をしていない。けれどこのままでは生活もままならなくなってしまうため2ヶ月前よりハローワークに通っている。仕事のことはハローワークに任せっきりにしようと思っていたのだが、興味本位でアルバイトを調べていたらとてもそそられる募集を見つけていてもたってもいられなくなっている。 先月、ハローワークの担当の方に履歴書と職務履歴書を書いてきてほしいと言われフラッシュバックや
新卒で入社したとある企業をうつ病(のちに双極性障害と診断)の発症により半年で退社したあと、ふたつくらいアルバイトをした。 その中で双極性障害を(のちにASDも発覚)患いながら労働をするということがどんなに困難でうまくいかないことかを痛感した。ああ、わたしは普通ではないんだと感じないことがなかった。 退社して1ヶ月後にラブホテルの清掃員として働くことになった。家にいる時間が長いと病んでしまうと思い働くことにしたのだ。 清掃員として入社したため朝の9時から夕方の5時まで
通っているハローワークの担当の人から、次回までに履歴書と職務履歴書を書いてくるようにと言われた。これがトラウマを抉る作業になってとても恐怖に怯えている。 ちょうど一年まえに転職活動をしようと試みて、履歴書や職務履歴書を書く作業を行ったのだが過去のことを深ぼれば深ぼるほど頭痛がひどくなりしまいには鬱になった。 そんな経験もあるからか、この作業が苦痛で仕方がなく締切が近くなったわたしはまた頭痛に苛まれている。これ、甘えだと思う人もいることだろうが本人は嘘をついたり逃げた
1ヶ月前に出会った人と、旅行にきている。 1ヶ月前にはクリスマスを毛嫌いしていた人とクリスマスを過ごすことになっている。 大学時代の友人が結婚と妊娠を経験したり、長年交際していた友人がひょんなことで別れたり 人生って何があるかわからんね。 明日にはいなくなってしまうかもしれない人や記憶、すべてのことを 大切にしなくてはいけないとはこういうことで、 けれど全てを大切になんでできなくて だからいなくなってしまう人やものやこと。 わたしの取りこぼ
って、母によく言われた(今も言われる)。 なにも嬉しくない言葉だった。 なんで、こんなに人生ってもんがうまくいかないのかなってすごく思う。 当たり前に仕事をしてお金を稼いで、当たり前に恋をして、そんな当たり前を疑いもせず生きる毎日。 わたしもしたかった。 誰にだって眠れない夜はあるよ。泣きながらご飯を食べることも恋人と分かり合えないことも誰にだってあるよ。 けれどわたしのは誰にだってじゃない。ついてない人生だ。一回くらいいいじゃないか。一回くらい当たり前に働ける
「あいつ寂しがりなのよ。俺が終電で帰ることになるともう拗ねてるから(笑)」 ふーん。 わたしには拗ねる相手がいないから、それがすごく羨ましいことのように感じた。 拗ねるってなんだっけ。どんなときに拗ねるんだっけ。拗ねるって怒ると違うんだっけ。 拗ねることすら忘れた。 わたしも、拗ねたいよう。拗ねたいけど、拗ねることすら許されない。 わたし、どんなときに拗ねるの? うーん。どんなときだろうね。 たぶん、拗ねる前に「しょうがないかー……」って、自己解決す
って、言ってみたい。 最近、わたしの人生史上もっとも重大というか最大というか、まあとにかく大きい片思いをした。 結論から言うと、実ってはいないのだが散ってもいない。要するに「保留」というわけだ。 彼にわたしの好きと言う想いをどうにか伝えようと、大事な友人何名かに相談しアドバイスをもらった。 「女の子らしい服装で!」 「さりげないボディタッチ!」 「かっこいいとか言ってみちゃえ!」 「デートどんどん誘え!」 ぜんぶした。なにせ、片想い経験はあれど相手方に想いを伝