【エチュード06】ハト・海・ドライヤー

※関連のない3つの単語を使った小品を作る、という習作企画。全12回。

 最初、カモメだと思ってた。

 堤防から海を見ていた時のことだ。砂浜を隔てて遠くの波打ち際に、一羽の白い鳥が波と戯れているのが見えた。あたしはなんとなくそれを見ていたんだけど、やがて、その様子が少しヘンだと気づいた。カモメが餌を探しているのとか、水浴びをしているのとか、そういうのとは、ちょっと違う感じがしたのだ。そもそも、カモメは群れを作るはずなのに、その鳥は1羽だけしかそこにいなかったし、それに水鳥のはずなのに、まるで溺れているかのように、体を傾け首を動かして、そして両方の羽を苦しそうにバチャバチャと羽ばたかせてた。その様子はまるで、波にさらわれたくないと、必死に抵抗しているようにも見えた。

 あたしは堤防から砂浜へぽんと飛び降り、鳥に近づこうと歩き始めた。途中でパンプスを脱ぎ、ストッキングで波打ち際に近づく。真っ青な空の下、春の日に照らされた白い砂が、さくさくと小気味良い音を立てて、足の裏に温もりを伝えてくる。

 驚いた。それは、真っ白なハトだった。手品でシルクハットから出てくるやつ。どうして、こんな所で、こんな事に?

 ハトはあたしのことを警戒する様子もなく、苦しみながらも助けを求める瞳で、あたしのことをちらちらと見た。あたしは波打ち際まで歩み寄り、ハトを拾い上げようと身をかがめる。柔らかなさざ波が、ザザザ、という心地よいノイズとともに、あたしの足とおしりの先を濡らした。

 もがくハトを拾い上げ、手の上に乗せる。と、彼(彼女?)は暴れるのをやめ、ぐったりした様子であたしの手に収まって、寒そうに身を縮めた。人に慣れた様子のこのハトは、当然のように全身ずぶ濡れで、体のそこらじゅうからぽたぽたと滴が垂れてる。あたしはこの可哀想な生き物を持ったまま、もう片方の手にパンプスをまとめて、さっきの堤防までさくさく歩いて戻った。

 仕事中にオフィスから飛び出してきた身だ、ドライヤーみたいな便利な道具を持っているはずもない。つまり今のあたしには、この哀れな生き物にしてあげられることなんて、ほとんどないんだと気づいた。でも、ぽかぽかと陽気が温めたこのコンクリートの上なら、いくらかでも早く体が乾くかもしれないね、と、あたしはハトを傍らに座らせた。ハトはすぐさま、堤防の温かさにうっとりしているみたいに目を閉じ、じっと動かなくなった。だけど、小刻みに動く胸元を見て、息をしていること、死んじゃっていないことくらいはあたしにも分かった。

 とりあえず、小さな命をひとつ救えたみたいだ。あたしは何となくほっとして、しばらくその生き物のそばに屈み込んで、その寝顔ばかりじっと見つめてた。疲れているというか、気持ちよさそうというか、そんな表情。それを見てると、さっきまでの憂鬱な気持ちなんか、完全にぶっ飛んでしまってた。自分がクヨクヨしてたことが、なんだかすごくしょうもないことに思えてきて、めそめそ泣くのもバカらしくなってきた。

「おまえ、どうしてこんなところにいるの?」

 ハトは片目を開けてあたしを見た。

「一人ぼっちなの?」

 ハトは首を上げて、きょとんとした顔であたしを見た。

「フフ、あたしも、そうなんだよ。」

 勝手に決めるなよ、と言いたげな雰囲気で、ハトは首を曲げてクチバシを羽に押し込み、そのまま両目を閉じて眠りはじめた。

 再び海を見つめるあたし・・・今更会社に戻っても、今日のあたしには仕事なんてもうできそうにないし、させてもらえる仕事もきっとないだろう。今夜にでも、先輩に電話して、少し話をしよう。上司に説明する手伝いをしてもらえるかもしれないし、それで明日には仕事に復帰できるかもしれない。そんなことを、堤防に座り込んで、ただ青くて広い海を見ながらぼんやり考えてた。

 と、ふと隣のハトを見ると、さっきと同じ場所で体を伏せたまま、短い首を持ち上げて、まあるい目であたしのほうをじっと見てた。

『なんだ、一人じゃないんじゃないか』

 なんだかハト君の心の声が聞こえた気がした。

「ごめんね。ウソ、ついちゃったね。」

 ハト君はまた首を曲げて眠りに入った。まるで、あたしの事なんか、何の興味もないよ、って言いたいみたいに。

 そのままあたしとハト君は、夕暮れ時までそこにいた。やがてハト君は体が乾いたのか、立ち上がってバサバサと羽を伸ばすと、あたしのことを見ることもなく、パッとどこかへ飛び去ってしまった。恩知らずな奴だ。あたしは少しあきれながらも、足の砂を落としてパンプスを履きなおし、クルマへと戻った。運転席に身を沈め、エンジンをかけようとした時・・・

 クックック、クルックー!

 なんと、さっきのハト君が、ボンネットに止まってあたしを見てるじゃないか。あたしは窓を開けて大きな声で

「乗るの? 乗らないの? ・・・お茶くらいなら出るわよ。」

 これが、あたしとハト君との馴れ初め。なんかショートムービーみたいなクサイ話だけど、でも、ホントの話。



「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)