0097:与える愛、許す愛
(はじめにお断りしておきますが・・・今回は長いです・・・3000字超えました(笑)。けどいい話なので、ぜひ読んでくださいね・・・自分で言っちゃいますけど(笑))
「許す」ときの気持ち
許すことの話を続けましょう。
前回(0096)、許すことのメカニズムを説明しましたね。ちょっとおさらいしましょう。
自分から、どこかに向かってモトが流出してしまう時、わしや汝のココロのなかに、不安や怒りの気持ちが起こります。
その時、アタマを使って、「その流れをそのままにしておこうと決める」、それこそが、許すという行為なのでしたね。
人を含め、生き物はみな、モトの自分からの流出を、とても嫌がります。実際に、嫌な気持ちになるからです。
嫌な気持ちになる理由は、ココロというものが、そういう機能を持ったパーツだからです。本能のようなものです。
でも、その不快感を乗り越えて、自分からモトが出ていくことを、受け止めて、受け入れなければならない・・・それが、何かを「許すこと」の、本質になります。
だから、難しいんですね。わしらは何かを許す時、自分から進んで、モトを失っていかなければ、ならないんです。
(^~^;)
でもね・・・汝の人生を思い出してほしいんですけど・・・
何かを許した経験って、ありますよね? その時、ちょっといい気分になったりも、しませんでしたか?
d(^~゜ )
ま、場合によると思うのですけど、本来、モトを消費する行為である「許す」ときに、逆に好き嫌いゲージ(0015)が上昇する、という経験をすることがあります。
これは実は、「許すこと」と「愛」とに、密接な関係があるからなんです。
愛とは「状態」である
では、ここでちょっとだけ「愛」について復習しましょう。
愛についてわしが書いたのは(0035)の時でしたね。
繰り返しになりますけど、愛と恋愛は別のものです(0077)。
その違いを、ものすごく平たく言うと、恋愛は欲しくなる気持ち、愛は与えたくなる気持ちです。
気持ち、と書いたけれども、わしのいう「愛」というものは、どちらかというと、「状態をあらわす言葉」というほうが、しっくりくる気がしています。
なぜなら・・・ほら、愛とはなんでしたっけ? わしが(0035)で書いたことをもう一度書きますが
愛とは、モトの量
なんでしたね。
(^~^ )
もう少し詳しく言うと、増えたり減ったりする薄いモトの集まりであるわしらのココロが、モトをいっぱい持っている時、ココロが暖かい気持ちを感じます。
その時、わしらのココロでは、好き嫌いゲージ(0015)が「好き」方向にいっぱいになって、そんでもって、モトを生産し始める(周囲の「無」の状態のモトを「有」に変化させる)状態になります。
その状態を、わしは「愛」と呼んでいます。
つまりです。愛は「感じるもの」でありつつ、「状態」をあらわす言葉でもあるんです。ココロが持っているモトの量に関係があるからです。
モトを分け与える、ということ
さて、わしらが誰か別の存在(人とは限りません)に、何かを分け与えるために、絶対に必要な条件があります。それは何でしょうか?
正解は、「自分がすでに、持っている」という状態です。
自分が持っていない物を、他者に分け与えることは、できません。当たり前っちゃ、当たり前の話です(笑)。
これは、お金やモノに限った話ではありません。そう、モトだって、そうなんです。
汝のココロのモトだって、「量」がある以上、分け与えるためには、あらかじめ自分が持っている必要があります(モトには「量」があるんでしたよね(0029))。
だから、本来なら、「許すという行為」は、ココロのエネルギー源(0027)であるモトの「量」が必要な行為なんです。
アタマは、その「量」を、好き嫌いゲージ(0015)を使って、常に計っています。
好き嫌いゲージが低い時は、相手に与えても大丈夫なモトの「量」が少ない、と、アタマが無意識に判断しています。
なので、好き嫌いゲージが低い(ココロのモトの量が少ない、とアタマが考えている)と、許せないことが増えていきます。
わしらがなんとなく・・・「ただ産まれてしまったから」なんとなく地獄で生活していると、こうやって自分のモトの量を減らさないように、無意識のうちにいろんなことを「許さないでおこう」と決めてしまって、生きてしまいます。
そうして、自分の人生をどんどん辛くしていきます。
だから、大事なのです。
自分のために、大事なのです。色々なことを
許そう、と決めて生きる
ということは。
許しとモト
わしらが何かを許そうとする時、モトがどうなるのか。
まず、愛の状態の時の話。
状態が「愛」なので、汝のココロが持っているモトが、増えていきます。
この時、近しい人やペットなんかに心を許していたら、「許している」(=モトが流出する)にもかかわらず、いい気持になります。
なぜなら、増えていって、余っている分のモトを、分け与えているからです。
そのうえ、モトを分け与えられた相手は、汝に注目するので、逆にモトを送り返してきます。そうして、また汝のモトは増えて、さらにいい気持ちになります。
一方、逆に不快な気持ちになったことを、許そうとする時は、どうなのかというと。
モトは、流出しているんでしたね。不快な気持ちになっている時は、不快な対象にモトが流れているんです。だから、こちらのモトは減っている最中です。
でも、アタマで「許そう」と決めたとたん、ふっとココロが軽くなって、安らぎを覚えたりすることがあるもんです。経験ありませんか?
(^~^ )
アタマが「許さない」と決めている間は、許さない相手(人やペットや物体、何でもです)にモトがドバドバ流れ出ています。注目しているからです(0030)。
ここでアタマが、考えを変えて「許そう」と決めた瞬間、モトの流出が緩やかになります。
なぜなら、許すということは、「相手のありのままを認め、受け入れて、そのままにしよう」という考えだからです。
ちょっと前に話した『あきらめる』こと(0090)に似ていますね。
d(^~゜ )
許すこと、手放すこと、愛すること
つまり、「許す」というのは、実は自分の
「相手はこうあるべきだ」という考えを、手放すこと
なんです。
自分の中にある「相手のあるべき姿」を「手放す」のだから、相手への「注目度が下がる」わけです。だから、対象へのモトの流出が緩やかになります。
モトの流出が軽やかになるので、ココロも軽やかになるんですね。
これが「許す」とココロが楽になる理由です。
さらに。
もし相手が人間や知能のある動物なら、相手から「許された」感謝という形で、モトが流れ込んでくることがあります。相手が汝の「許し」という気持ちに、注目するからです。
そうすると、さらに汝の気持ちは軽やかになります。モトの「量」が増えて、好き嫌いゲージが増えるからですよね。
その時、汝のココロが「愛」の状態になれば、さらに分け与えられるモトが増え、余った分が相手に流れていきます。相手は喜んで、さらにモトを送り返してきます。
この「モトの循環」・・・前に恋愛の話の時にした、恋人たちのモトの循環に、似ていますよね(0078)。
でも、これは性欲をベースにした「恋愛」の話ではありません。
本当の「愛の話」です。
「許す」と、本当の愛が生まれることがあります。
また、愛があると、許すのはずっと容易になります。
モトを知る、モトと生きる
このように、モトを中心に他者との関係を考えると、わしらには見えない「関係性」というものを説明することが、容易になります。
容易になるので、アタマでとらえやすくなります。
アタマでとらえやすくなるので、実行しやすくなります。
・・・ね? モトの知識があると、この「許す」行為は、ずっと易しくなるはずです。
d(^~゜ )
だから前回書いたように、「許す」ために必要なのは、これまでわしが話してきたこと全部、なんですよ・・・
(^~^ )
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おっとっと、めちゃくちゃ長くなってしまいましたね。今日はこの辺にして、続きは次回にしましょう。わしの話、よく考えてみてね。
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これは、拙ブログ『人生はなぜ辛いのか、と思った時に読むブログ』からの転載です。イラストや強調で分かりやすい、本家サイトはこちら。
https://jinseihanazeturainoka.blogspot.com/
このブログの文章を初めてお読みの方は、ぜひ第1回からお読みください。
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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)