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依存と好きの違い

依存と好きの違いが分からなくなってきた。

以前、違う記事(「恋愛観」という記事です、また良ければ。)で少し書いたのだが、私には小学生の時から付き合っては別れてを繰り返している遠距離恋愛中の恋人がいる。ちなみに同級生で、私たちは今年で20歳の代である。

私は自己肯定感が低いとよく言われるのだが、抑うつ気分になった際、よく思い浮かぶ考えがある。

それは、「恋人は、私のことが好きなのではなくて、私に好かれていることが好きなのではないだろうか」という考え。

ずっと頭の中にはある考えなのだが、抑うつ気分になった時に爆発する感じ。

お互い精神的に不安定な者同士、分かり合える部分もあれば、悪循環な部分もあることは自負している。例えば、2人同時にBADに入ると最悪である。そういう場合、私は誰かに話を聞いて欲しいタイプ、逆に彼は1人になりたいタイプなので、意見がすれ違うことはザラである。

それから、一方が元気な時でも、もう一方が希死念慮でどうしようもなくなっていたら、少なからず影響を受け、結果的に2人ともBADに入ったりもする。多くは彼の方が希死念慮を感じて口に出すことが多いので、次第に私もしんどくなることが増えてしまった。もちろん原因は彼だけでは無いと思うが、恋人と二人でいる時間を100%幸せ、楽しい、と思えなくなったのは残念ながら事実である。

恋人は、付き合いがこんなに長い割にはすごくよく愛情表現をしてくれるタイプだと思う。しかし、私は特に夜、不安感や抑うつが高まってくると、それらが全部嘘のように思えてくることがある。好きって言ってくれる、自己肯定感を上げてくれる相手としてしか私のことを見ていないんじゃないか。私が彼のことを好きだと言うから彼も私のことを好きだと言うだけではないだろうか。恋人の言うことを信じたいのに信じきれない自分に対して嫌悪感を覚え、さらに落ち込む。

彼もおそらく同じような状況なのかと感じることが多い。例えば私が女友達と飲んでるよ、というLINEを送ると、どうせ男とおるんやろ、もう死ぬね、というように返信がくる。私も抑うつ気分になると同じようなことをLINEで送ってしまうことがあるからお互い様なのだが、正直、どちらもしんどいと思う。

友達には「共依存じゃん」「一方的な依存より全然いいじゃん」と言われることが多い。決して共依存なんて絶対ダメだとは言わないが、私たちはこのままで幸せになれるのだろうか、という疑問が湧いてきたのも事実。純粋な好きという気持ちだけではなく、歪んだ依存体勢に入っているように思う。自己肯定感が低い者同士がお互いを慰めあって、時には不安や衝動的な怒りを押し付けあって、投げ場のない希死念慮のはけ口にして、これは幸せな恋愛の形では無い気がする。

お互いにほぼお互いとしか恋愛をしたことがない、という恋愛経験の浅さも関係しているかもしれない。もっと恋愛経験を積んだ方がいいのだろうとは思う。でもそうなれば彼とお別れしなければいけない。好きだからなのか、依存しているからなのか、おそらく両方だが、とりあえず別れるなんて考えられない。別れられない。別れたくない。

一緒にいるとすごく落ち着くし、しょうもないことで笑えて、幸せだと感じることはもちろんたくさんある。何だかんだ、嬉しいことも悲しいことも一番最初に報告したくなるのは彼だし、2人だけの楽しい思い出も沢山ある。今まで辛い時は何度も彼に助けられてきたし、私は彼のことが好きなのだ。それは絶対そう。

彼も同じように私のことを想っていてくれたらいいなと願うが、どうだろう。

やっぱり依存と好きの違いは分からない。ひょっとしたらそもそも区別できないものなのかもしれない。なんだかまとまらない文章になってしまった。

幸せな恋愛なんて定義出来ない、というような話をその昔の記事で書いたのに、また枠にはめて考えようとしている。私のよくない癖。

とりあえず、勘違いでも思い込みでもいいから、好きな人のことも自分のことも、もっともっと信じて前向きに生きれるようになりたいかなあ。


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