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天才の50%と凡人の120%

遅ればせながら、映画『蜜蜂と遠雷』を観た。
掃いて捨てるほどいる音大生の1人だった時代に見てきた光景が、そこにあった。
もちろん、国際コンクールはおろか、日本を代表するコンクールにも縁がなかった身だから、語るのもおこがましいかもしれない。
でも、「彼ら」の音楽に触れてしまった以上、「音楽の才能」についてずっと考えていることを書いてみたいと思う。

映画の主要人物のひとり、高島明石のセリフを参考にしたい。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

「悔しいけど、わかんないよ。あっち側の世界は」
「道を究める」とは、残酷な行為だ。
上手くなろうと努力して力がついてくるにつれ、演奏を聴いてレベルが“わかって”しまう。
1曲最後まで聴く必要なんてない。1小節、いや、最初の1音の出し方で、その人がどの程度理解して弾いているのかが見えてくる。
それは同時に、自分がどのレベルにいるかを悟ることでもある。上に行こうともがくほど、それは越えられない壁なのだと、耳が容赦なく教えてくれるのだ。

「生活者の音楽は、敗北しました」
練習は裏切らない。
しかし、ただ練習すれば上手くなるのかというと、それは違う。
何時間もくり返し練習したら、「楽譜は弾ける」ようになるかもしれない。
しかし、「曲を弾ける」ようになるには、いくら指を動かし続けてもダメなのだ。

天才と呼ばれる人たちは、脳の働きが違う。
もちろん、人並み外れた超絶技巧は、指の訓練のたまものではある。
だが、根本的に音楽の捉え方が異なるのだ。
音と音のつながりの理解、和声のバランス、曲を立体的に把握する力、鍵盤への力の伝え方など、「そもそも」が凡人とはかけ離れている。

天才と凡人の差と同じくらい、「曲を弾く」と「楽譜を弾く」の間には大きな隔たりがある。
音楽に必要なのは、言うまでもなく「曲を弾く」力だ。
言うまでもなくと言っても、言うだけなら易しい。ピアノ弾きは、埋まらないその差を埋めるべく、コツコツと地道な練習を続けるしかない。

♪ ♪ ♪ ♪ ♪

と、まるで高島明石が凡人のように書いたが、4人のピアニストの中で見れば“凡人”なだけで、国際コンクール2次予選に進み、奨励賞&菱沼賞を受賞した彼もまた、立派な天才である。
2次予選までに散った者、コンクールを受けることすら叶わなかった“ピアノ弾き”が、大勢いるのだ。
高島明石が敗北だと言うなら、それ以外の者は惨敗なのだろうか。
天才の輝く音楽の前で、凡人の音楽は意味を成さないのだろうか。

昔、コンクール前にピアノの先生に言われて、今でも覚えている話がある。
「確かにレベルは違う。でも、演奏というのは、その時その場限りのもの。天才でも50%しか力を出せないときもある。そして、それが凡人の120%に負けることがある。だから、一生懸命弾いてきなさい」

凡人に120%の力を出させるもの、それは「伝えたい」という気持ちだと思う。
技術や理解でどんなに敵わなくても、「伝えたい」という想いが人の心を揺さぶることがある。
1音のミスなく弾き切った機械のようなプロの演奏よりも、素人が精いっぱい弾く演奏のほうが心を打つことがあるのが音楽だ。

「伝えたい」
たとえ“あっち側の世界”に行けなくても、その想いがあれば音楽は輝き出す。
ひとにぎりのプロにはなれなくても、ひとりの心をつかむ演奏はできるかもしれない。
凡人にもきっと、そんな演奏ができるはずだ。
音楽は特権階級のものではない。
むしろ、特権階級にしか伝わらないものは、音楽ではないとさえ思う。
何だかわからないけれど、いつまでも聴いていたい。何度でも聴き直したい。
音楽を知らない人にもそう思ってもらえたら、最高だ。

「伝えたい」
今日もどこかで誰かがそう思っているから、
「世界は音楽であふれている」。


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