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母の本棚、私の本棚



小学生の頃、母の本棚におさまるマンガを読むのが好きだった。
たくさんのマンガと、少しの小説。
本棚3つ分、パンパンに詰められたその場所は、家の中で1番好きな場所だった。 


母の本棚 

母の本棚には優しい物語がたくさん揃っていた。

たとえば、

石塚夢見の「朝倉くんちょっと!」
石井まゆみの「ロッカーのハナコさん」
高野まさこの「シュガーベビー」と「ワルツ」
大谷博子の「ペンションやましなシリーズ」
ひかわきょうこの「千津美と藤臣くんシリーズ」
大野潤子の「オーノのハーブ・タイムシリーズ」

マンガ喫茶ではなかなか目につかない、母の本棚になければ出会わなかったであろう、たくさんのマンガたち。
ちょっとおっちょこちょいだけど、自分の気持ちを素直に表現できる、芯の通ったまっすぐなヒロインと、悪そうに見えて優しく強いヒーローたちの世界観が素敵な作品。
母が好んで読んだのは、そういうマンガだった。

一方で、母の本棚に並ぶ小説のほとんどは、娘である私たちに読んでもらうために買ってきたものだ。

ハリー・ポッターやブレイブ・ストーリー、千と千尋に影響を与えたと言われる霧のむこうのふしぎな町。

読んでみたら?と紹介した後は押し付けることはせず、私たちが読みたくなるまでは本棚にしまっておく。
ものによって読んだり読まなかったりするけど、読んでみたら面白くて続きをねだることもあって、そういうとき母は嬉しそうにあったら買ってくるね、と答えてくれる。


いつでも、私たちが読みたくなるような本棚を作っていたのだと思うと、母の愛は深いなあと思う

余談だけど、妹だけは本棚に全く興味を示さず、中学生までの全ての読書感想文を「フランダースの犬」で書いていたので、必ずしも愛が通じていたわけではない。


私の本棚

そんな母の本棚をみて育った私の本棚は、比較的いろんなジャンルの作品が並ぶ。

マンガなら、

高屋奈月の「フルーツバスケット」
高尾滋の「いっしょにねようよ」
羽海野チカの「3月のライオン」
田村由美の「BASARA」
中村明日美子の「鉄道少女漫画」
ひぐちアサの「おおきく振りかぶって」
雷句誠の「金色のガッシュ‼︎」

小説なら、
伊坂幸太郎を中心に、気になって買った作者を問わない物語やエッセイたち。

最近は電子書籍で揃えてしまうので、ヤマシタトモコの「違国日記」やよしながふみの「大奥」、清水玲子の「秘密」、原泰久の「キングダム」なんかはスマホの中に揃っている。

ほかにもたくさん好きなマンガはあるけど、全部羅列するとそれだけですごい文字数になってしまうのでここらへんでやめておくこととする。

私は、自分の本棚も母の本棚も好きでどちらに並んでいる作品も読むけれど、母は私の本棚は好まないらしく、これ面白いよ!とすすめても「読んだけど好みじゃない」と一蹴されることが多い。

既に読んでいるのは「さすが」としか言いようがなく、読んだ上で好みではないといえるほどに好みが確立しているのは羨ましい。


母の本棚から、私の本棚へ


はじめて一人暮らしをする時、母に頼み込んで譲り受けた作品がある。
高野まさこさんの「シュガーベビー」と「ワルツ」だ。

いまはもう絶版になっていて手に入らないこの2作は、母の本棚の中でも一際古く、日に焼けて茶色くなっていた。
お伽話みたいに優しくて、善人しかいない、性善説の全てが詰まったみたいなその物語は、一人で心細い夜も、仕事がうまくいかず枕を濡らす夜も、読むだけで少し元気をくれた。

シュガーベビーの中に、人の瞳の中には天使が住んでいて、「曇りなき眼」でい続けるために瞳の中を磨いてくれるというおはなしがある。
でも、人の瞳はどんどん曇って、輝きを失っていき、磨き疲れた天使は瞳の中で疲れ果ててしまう。そんなときにふと、人が空を見上げてその美しさに見惚れると、瞳の中の天使は空の上にいる神様からパワーをもらい、また瞳を磨き始めてくれるというお話だ。

この回を読んでから、空に見惚れるたびに瞳の中の天使の存在にも思いを寄せるようになった。
瞳の中の天使は元気になったかな、とか。
神様とお話しできたかな、とか。
本当に天使がいるかいないかではなく、そう考えることで自分が疲れていたことや瞳が曇るような出来事に気を揉んでいたことに気が付ける。

母も昔、同じように空を見上げたことがあるのかもしれない。


母の本棚から受け継がれた物語たちは、その物語自体が私に元気をくれるし、母に想いを寄せることでいつもそばにいてくれるような安心感を得ることができる。

いつか母がいなくなったとき、その喪失感を考えると体が強張るけれど、そのときも母の本棚は私を支えてくれるのだろう。







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