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そんなこと
2024年4月16日 00:39
私と滝本さんにはひとつ共通項がある。ふたりともいいおじさんでありながらSNSで自撮り画像をよく出していること。コーヒーカップを見栄えよきアングルで撮り出すように、部屋にある空っぽの椅子をありのままに撮ってみたくなるように。みなさんはどうだろうか。自撮り画像を出すのが恥ずかしいだろうか。プライバシーが侵される怖さと抵抗感があるだろうか。自作の詩を出すことには抵抗がなくて、なぜ自撮り画像は嫌なのだろ
2019年10月7日 07:17
読書人口はひと昔前とは違いかなり少ないと実感する。知人たちの様子からすれば10%いかないとみる。多くの人は日々の営みに疲れ文字を目で追い思考する忍耐が辛くて仕方がないのではなかろうか。文字を打って創出するのがメインのSNSさえも、その思考の労力に疲れてしまうものではと察する。ところが、詩を趣味にされてる人々のコミュニティに身を置くと、実感する読書人口10%が70%になる。倍率が微妙かと思われる
2019年10月6日 19:28
どう読めばいいのか困惑した、という感想が多い。私が初めて詩集本というものを買った「指差すことができない」は中原中也賞を受賞された作品。これを読むと詩の手法がある小説とは何か、が逆説として理解されるだろう。外界を書いている言葉が自己の内側を表しているということ。形而下の外界を現す言葉が形而上の存在を書いているということ。読者は形而下から外界の実存を認識しようとする。しかし書かれている言葉は形而上の
2019年10月6日 19:12
キリスト教がどうして人を惹きつけるのか、キリスト教によって人は救われているのか、宗教によって人は救われるのか。 私が持つ宗教への疑いを黙らせる書がいくつかあって、その一つが「塩狩峠」。 信仰がもたらす崇高な生き方とはその宗教が持つ源に殉教がなければならない。なぜならば非合理が持つ訴求力の最大値は死であるから。
2019年10月6日 19:08
以前から気になっていた川上未映子作品を買った。ありきたりの恋愛話だという感想があるけれども、ありきたりな恋愛がこの小説のテーマだろうし今の世の中、ありきたりな恋愛さえも手に入れることが難しい。本当はありきたりではないのだと思う。人の巡り合わせはとても確率が低いなかで起きていて、その出会いを描くにはありきたりな物語とする以外にない。奇跡は感じるか感じないかだということ。
2019年10月6日 19:02
ラノベかという読み始めの印象。いや、最後までライトなプロットではあるのだけれども、宗教的な要素が一部にある。「学校のイジメ」を赦しの原理にまで至らせている。中学生が吐く台詞としては少し違和感があるけれども。舞台設定が世紀末以前であるよりも00年代の現在にしたほうがよかったように思う。90年代の終わらなかった中学生たちと、今の「破滅するかもしれない国の中学生たち」では大きく違っていて、他者から
2019年10月3日 17:00
survofさんの作品は詩に馴染みのない人が読んでも良さがわかりやすいと思うのです。それはつまりカタルシスがあるってこと。「良さがわかりやすい」。それはわかりやすい浄化作用の体感とは違う。言うなれば村上春樹作品を読んだ時に受ける「読後のなんとなくな気分」であり、その気分を喩えるならばカタルシスであるということ。夕狩さんの批評文にはカタルシスは示されていないし、そのなんとなくな「読後の心地よい気分」