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『政治的に無価値なキミたちへ』読書感想

都知事選挙があった。結果は現職の再選だったけれど、その後のSNSで、“ある候補者に自分なりに考えて入れたのに、その候補者に入れたことを批判されて辛い。これじゃあ若者は次の選挙に行きたくなくなる”というニュアンスの20代だろうコメントを見た。

それに対して、“落ちた候補者に入れたことは間違ったということではない”というコメントを見てハッとした。そうか、自分が選んだ候補者が批判されたり、あるいは選挙に落ちたりすると、自分が間違っていたと否定された気持ちになるのかと。

その感覚は私にはないもので、でも、他にも同じような投稿を見たのだ。例えば、“(候補者や公約がどうではなく)自分がマジョリティから外れる恐怖がある”というもの。なるほど、その感覚が強くなることもわからないくはないけれど、マジョリティーになるゲームだったら、それはすでに思考停止だなと思う。

中高年の人たちが、自分の今までの経験(それには大いなるバイアスも含まれるだろう)によって、特に公約などを重視せずに同じ党に入れ続けることなどは、正直一気に変えることは難しいだろうと思う。けれども、政治に対して無関心と言える若者がいるということに、非常に危機感を覚えるのだ。

だからこそ、自分でもこの本を読んでみて、そういう人におすすめしたいと思う。『政治的に無価値なキミたちへ』という挑発的なタイトルの本である。本書は早稲田大学の政治入門講義を書籍化しているそうで、語られるように書かれているので読みやすいところもいい。

著者自身が「プロパガンダ的」と述べている本なので、内容に影響を受けまくることも望ましい主権者の姿ではないだろう。でも、誰もが、「イデオロギー」と呼ばれる考えの傾向を実は持っていて、それは政治とも直結している。政治に無関心でありたいと思う人ほど、政府や権力の大きさというものを信じているのかもしれないが、それでいいんだっけ?と警鐘を鳴らす本ではあると思う。

ちなみに、私は自分の妹たちにはこの本を勧めたい。投票にもしっかり行くけれど、誰に投票したらいいのかわからない。議論をできる風土的な土台がない。けれどもそれを放置していては、それは民主主義ではないのだと思う。実際に書籍内でも“民主主義は素晴らしいものと教えられるが、その参加方法を教えてもらってない“と書かれている。この言葉には納得感がある。

政治的に価値のある人間になること。それは、権力者からしたら都合の悪いことだろう。思考停止で権力に従うか、権力が作り出したマジョリティーに従うコマの方が都合がいいはずだから。でも、自分たちの現状(税金が高いとか、円が弱いとか、子育てがしづらいとか)は仕方なくなんてない。傾きつつあるこの国で、政治的であることに、もはや嫌悪感を抱いている場合ではないのだ。


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