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面白いエッセイには、やはり教養と人間力が必要だと思うなど

母の好きなところはいくつかあるが、私がとりわけいいな思うのは、歳を重ねるのを楽しんでいることである。年齢を隠してもいないので、幼いときに母がそれをサバを読んでいたという経験もない。40になったら買う香水を決めていたとか、50を過ぎて着物を習うとか、仕事から始まったものもあるが、生き生きとしている。そんな母には、身内ながら豊かで堂々とした美しさがある。

梨木香歩さんのエッセイを読んでいる。その経験と知見の幅広さにほう、となり、「歳をとっていいことは」というニュアンスが出てきてあれ、となり、そして生まれを見たら1959年だった。あまりに驚いてしまった。はじめて『西の魔女が死んだ』を読んだとき、そして『エンジェル エンジェル エンジェル』でなにやら掴めない手触りの虜になったとき、私は中学生で、梨木さんを二、三十代の人と想像していたのだ。それが六十代の方というのは、もはや失礼に思えるほどの勘違いだ。

少女たちの健気さとか生意気さとかのリアルな描写や、梨木といういかにも可憐な響きから、勝手に想像していたものと思われる。年齢を知り、エッセイのネタの多さに納得もする。もっとも、同じ経験をしたからといって梨木さんほどの知見が得られて文章も書けるなどとは微塵も思わない。けれども、面白い引き出しをたくさん持つには、一定の経験が必要なのだと改めて感じる。

私はずっとエッセイを本にする夢があり、noteでもときおり「書くぞ」と決めて書くエッセイがある。それで思うのは、語れるような実体験を持つ人でありたいし、教養も必要であるということだ。日常を面白く捉える人、それを惹きつけられる文章にできる人には、ひけらかさなくてもスパイスとしての知性を感じる。私は27歳にしては好奇心が絶えない方だと思うけれど、どうだろう、学びへの貪欲さは足りているだろうか。

多くの人が似た経験をしていて、それを言語化するから共感される文章もある。たとえば恋愛や就活に悩んで書いたエッセイには、共感のコメントを寄せていただくことがある。私自身、日常を瑞々しい視点で切り取り、言葉のついていない感情を表したものを読んで、私は時にその視点と文章力に圧倒されることがある。私にも似た経験があったのに、こんなふうには書けない!と悔しいを一回りして尊敬する。

一方で、多くの人が経験できないことだから、その経験を綴った文章に価値があるということもある。真似できない生き様としての魅力だ。例えば私の初恋人が外国人だったり、新卒就活をせずにフリーターをしたり、会社員になった途端に毎月旅行をしていたりするのは、あまり多くの人が経験していると思えない、私のぬ経験かもしれない。

エッセイを書くなら前者も後者も充実しているに越したことはない。むしろ、どちらも書けたら無敵とすら思うが、文章力も人間力もともに備わっていないとなかなか難しいものだと思う。学ぶだけでなく、歳を重ねないと知り得ない変化もあるだろう。けれども、人がエッセイに求めるものがそれなら、私は書けるようになりたい。

梨木さんのエッセイは、宗教や住まいなどさまざまな知識を土台として展開していく。旅行記をとっても、そこにあるのは今のように映えではなく、文化だった。自分は表面的なものだけを描いて満足していないだろうか。それを問い直し、そして面白がれる生き方がしたいと思うのだった。



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