妹が葉隠武士になってしまった!
コロナ禍でいいことがあるとすれば、妹・弟と仲が良くなり、たくさん話すようになったことです。
妹と共通の話題がなんと
特に妹とは奇跡的なめぐり合わせもあります。
2020年12月、会社へ退職の意思も伝えた私は、ふと「妹と人生観でも話し合ってみるか」と思い立ちました。たまには妹と中身のある深い話でもしたいと思ったのです。
妹と一対一で飲みに行くのはその時が初めてです。
飲み屋の個室に入って妹から平口一番「実は私も話したいことがあって」と言われました。
(お、なんだなんだ? 私が仕事辞めたいとか辛いとか、ついに辞めたとか言ってたし、そういう話かな?)と予想していたのですが。
「アメリカの大統領選なんだけど……」
どっひゃー!? どええええ!?
その時の驚きは文章化しにくいですが「深い話たって深すぎるよ! いまだに沼の底が分からないくらい深いよ!」と今ツッコミを入れておきます。
もちろんコロナや人生観の話も盛り上がって意気投合した訳です。
武士道と云うは
葉隠武士って何ぞやというと「武士道と云うは、死ぬ事と見付けたり」『葉隠』(佐賀藩士・山本常朝著)に登場する有名な一節のことです。
勘違いしないで欲しいのは「お国のために死ぬ気で戦争いってこい!」というような玉砕を強要する言葉ではないことです。
"本当に"明日死ぬなら、何をやる?
もし"本当に"明日死ぬなら、何をやりますか?
人によりますが、家族と丸一日過ごしたり、死ぬまでにやりたいと思っていたことに挑戦したり。
そして仕事が嫌いだったり、ブラック会社に勤めていたら、絶対サボりますよね。
では明日とは言いません、一年後に死ぬとしたら何をやりますか?
まあ、似たようなものですよね?
でも、仕事優先で家族との時間はないがしろにしがちですし、夢ややりたい事があっても後回しにしていますし、嫌いな仕事を続けたり、ブラック会社に勤め続けたりしてしまいますよね?
それが何故なのか、私なりの結論をお伝えしましょう。
"いつか死ぬ"という認識は、知識で分かったつもりになってるだけで、”本当は”そう思っていないのです。
あなたの神聖にして偉大、バグまみれにしてアンポンタンな脳みそは「自分だけは絶対に死ぬわけがない」と思っています。
若者や幼い子どもであっても、事故に巻き込まれて死んでしまう痛ましいニュースを見聞きすることがありますよね。
どんなに健康的に過ごしていたって、死ぬときは死にます。
でも、やっぱりそれは知識として知っているだけで"本当に"明日死ぬかもとは思っていない。疑いようもなく行動が指し示しています。
究極の力
"本当に"明日死ぬかもと思うとどうなるでしょうか。当然、行動が変わります。今日という一日、今この瞬間を大事に感じ、一日と真剣に向き合い本気で行動するでしょう。
そうなったらもう無敵です。
私は「仕事やめたいなー」とうだうだ悩んでいた時期に、色々と自己啓発でない本(脳科学・心理学・哲学・原始仏教など)を読みました。その中で発見した究極の力の一つが葉隠理論です。もう一つありますが、気が向いたら紹介します。
さてそんな大発見をした私ですが、葉隠理論を使いこなせていません。私は絶対に明日死にません!
僕はしにましぇん! 読者が好きだから、僕は死にましぇん! 僕がnoteを届けますからぁ!
知識だけで”本当”が分かるわけないのです! 特に私は行動力が激ザコです。でも、会社を辞める事はできました。
その話も色々とあるのですが、葉隠理論を今日という一日ではなく、今年一年くらいで認識しているからです。
というか葉隠理論は武士の極意ですし、お釈迦様の悟りにも近いものがあるので、そもそも一般人においそれと使いこなせる力ではありません。
でも今まで老後まで考えていた仕事・保険・ローン・子どもの将来・大学費用などなど……それは考えすぎですって!
私の場合は、この一年を考えた結果、仕事なんて余裕で辞められると気がついたのです。
意識低々なので「う~ん、もしかしたら一年後には死んでるかも?」と疑問符付きで思っているだけです。別の言い方をすると「とりあえず老後とかどうでも良くね?」でもあります。
妹がバックパッカーになってしまった
妹はコロナ禍で鬱になりかけたようですが、この度退職いたしました。
そしてマスクの無い世界を見に行くために、北欧・中欧・東欧を鞄一つで旅するようです。英語は得意なようですが英語圏以外にも行きます。バックパッカーです、さすらいの旅人です。やろうと思って出来るほど簡単なことではないと思います。
なってしまったとか言っておきながら、嬉しいです。いやー、めでたい!
妹は私よりも真剣に、若者が事故死するニュースを自分ごとに捉えられるようでした。
そうやって急に死んだら死にきれない、後悔だけが残る、今したいことをする、と言っていました。
心の奥底から、明日死ぬかもと思っている訳ではないかもしれません。ですが、一年より短いスパン、一月や来週くらいで捉えているかもしれません。もしくは私みたいな疑問符付きよりもっと真剣に捉えているのだと思います。
追い越されて嬉しい
私の漠然とした夢の一つが、子どもを育てて自分を追い越してもらうことです。過度な期待でプレッシャーをかけたくないものですが、もしかしたら人を応援することが好きなのかもしれません。知識(与太話)を集めることと、それを話すことも好きです。
それで、予想外に妹に追い越されてしまいました。超嬉しいです。
なのでこの記事を読んで「自分だけは絶対に死ぬわけがない」という主張に「確かに!」と思われた方。私のことを超高速でバビュンと追い抜いていって下さい。
今日の思い付きですが、追い抜かれるのが私の才能かもしれませんよ。
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