北森 緑 / MIDORI KITAMORI

フリーランス / 作家志望だった叔父は「僕には夢がある」と言い続けて歩道橋から落ちたけ…

北森 緑 / MIDORI KITAMORI

フリーランス / 作家志望だった叔父は「僕には夢がある」と言い続けて歩道橋から落ちたけれどなぜかまだ生きている。だから私も何かを書いている。

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最近の記事

値札が付けられない幸せ

出会って七日で入籍した経営者と離婚して 一ヶ月が経とうとしている 七日で結婚したことよりも 幸せをお金で買おうとしたことが なによりも愚かだった 三億円の連帯保証人がきっかけで 泣き崩れる父親を六歳で見てから 私はいつだってお金持ちになりたかった 打算の笑顔と嘘を重ねてきた 高校時代はグッドデザイン賞の 審査員の息子と付き合った 大学時代〜社会人は 三菱商事の内定者と付き合った マッチングアプリでは 商社マン、医師、パイロットと会った 最初の結婚は大企業の役員の

    • ホーチミン、再び。そして、去る者は追わないことについて。

      5年ぶりにベトナムに来た。5年である。 結構な歳月ではないか。 2019年の秋、私は食中毒により救急搬送されたあげく元同期にこっぴどく振られ、母と「すごく可愛い写真を撮る旅行」を計画した。 振った女のLINEのアイコンが どうであろうと関係ないであろうが 少なくとも美しくありたいと思った。 タンディン教会やスリ・タンディ・ユッタ・パニ寺院など脳死で「映える」写真を撮りまくった。コンチネンタル・ホテルに宿泊して、アフタヌーンティーやマッサージにも行った。 母娘の旅としては

      • 2019年のコリドー街

         三年ぶりにコリドー街を歩いた。  2019年、26歳の弁護士秘書というテンプレのような肩書きをつけて、商社マンとの合コンやら、広告代理店の社員と『dine』の待ち合わせ(と言う名のタダ飯)に明け暮れていた街だ。『東カレデート』では薔薇ランキング一位にもなったなぁ。ねーすごい? いや、昔の栄光に縋るなよな。どうでも良い記憶を辿る。  コロナ期間に私は結婚をしていて、都内にいなかったから、31歳になって久しぶりに歩いた。  一回目の結婚について語ることはない。  職場という

        • INFJかつADHDな私の日常、数字には色がある

           何かを書きたい気分になったので、  最近、ADHDと診断を受けた話をする。  学習障害などに悩む方や親御様の役に立たないことを事前に注意書きとして述べる。  私が周りと違うとはじめて気づいたのは14歳だ。当時の進学塾で知能指数テストを受けた。 結果は141だった。母は相当な喜びを見せたが私が「だるいな」と思った。予想は的中し、テストで低い点を取るたびに「あなたは賢いんだからできる」と言われることになった。  その後、大学生のときに本屋で数字に色が見えるのはみんなと同じ

        値札が付けられない幸せ

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        • センチメンタル・トウキョウ
          6本

        記事

          愛された記憶と自己肯定感について

          ※北森の関係者は読まない方が良いです。 私にはあまり親から愛された記憶がない だから自分の歪みにも気づいている。 幼少期の家庭環境は微妙で 今流行りのアダルトチルドレンとか 毒親とか、双極性障害とか ぜんぶがデパートみたいにつめられている。 ダラダラ語るほど楽しい話ではない。 だけど、良い思い出も沢山あるから 辛い時は記憶の甘い部分だけを拾い上げる。 高校時代、長く付き合っていた彼氏は 『春を愛する人』を 好きでもないのに本気で歌い続けた 苦笑いしながらも実はけっこう

          愛された記憶と自己肯定感について

          引っ越し回数12回、転勤族の娘による叫び

          金融機関や保険会社など 全都道府県に支店があり家族と共に または父親ひとりで単身赴任として 引っ越す家族、いわば「転勤族」 その一人娘として生きてきた話を聞いて欲しい。 私の父親は大手生命保険会社の社員だ。 母の実家、福岡で生まれて、生後三か月で父の新たな勤務先の関東の某県に引っ越した。 私には、地元がない。幼馴染もいない。 成人式に行く場所はなかった。 関東の人でも関西の人でもない、 血だけは福岡だ。 「博多美人」と言われても福岡弁は話せない。 「どこ出身ですか?」

          引っ越し回数12回、転勤族の娘による叫び

          転職しよう。離婚しよう。人生はヤったもん勝ち。

          27で結婚し、昨年29の秋に離婚した。 今年のはじめに再婚した。 再婚相手と出会った日、前述の通りセフレを切り捨てた。我々は出会って7日で結婚した。 相手の経営する会社も資産も、 何も知らなかった。 借金まみれの危険人物でも良いと思った。 私の選択の責任を取るのは私だ。 お金が大好きな私は意外にも直感派で目の前の男に自分の全部を投資しようと決めた。 ダメになったらゼロから始めれば良い。 人生はトライアンドエラーだ。 失敗を恐れていたら何もできないままで 老いていくだ

          転職しよう。離婚しよう。人生はヤったもん勝ち。

          誰かの彼女は誰かのセフレ

          「セフレたるもの」との別れを決意して 一週間が経った。 振り返ると彼と私には袖擦り合う「だけ」の縁しかなかったのだろう。意味がなかったとは思わない。今日で最後にするが本当に好きだった。自分のプライドを捨てるくらい好きだった。 さて、不思議なことに私を好きになり、 恋人となった経営者にはかつてセフレがいた。 諸事情から私と彼は一度すれ違い、再会しており、私の気が乗らず会わなかった一回目に彼は「セフレたるもの」と高級焼肉店にいた。 「私たちの関係」を問われ 「……普通にセフ

          誰かの彼女は誰かのセフレ

          奢られ女、割り勘女

          ラーメン屋さんの券売機の前で 一枚だけ買う男に殆ど出会ったことはないが その一回で私は相手を嫌いになる。 普通は「何にする?」と振り返って尋ね、 黙って二千円を払うのだ。 下心との引き換えではなくノブレスオブリージュ的精神から紳士たる男はスマートに会計をして然るべしである。 支払えない男はいらない 気持ちよく財布を開かない男は 女子供より先に火事から逃げるくらいダサい。 そもそも財布に現金が入っていない(多分) 以前、80円しか手持ちがなくて 真剣に驚いたことがある。

          奢られ女、割り勘女

          恋人とセフレであったもの

          セフレであったものが私を最も傷つけたのは 「顔が好みだった」 「プロポーズしても良かった」 という元彼女への懐古である。 心臓にキリがぶっ刺さった感覚だった。 この私がこんなに好きなのに どうしてその女は愛されて私は愛されないんだ。 恋愛は努力でないと理解していたけれど 平気なふりをして飲み込んだ安酒は苦かった。 ハリーウィンストンしか許さない私は相手がそいつなら安物のティファニーを許しただろうか?否。しかし。 なんで、私じゃないんだろう? そんなに、私は可愛くないのか

          恋人とセフレであったもの

          セフレに好きだと言った女

          セフレに好きだと言った。言ってしまった。 「男はセフレを決して好きにならない」だとか そういうセオリーはわかっている。 それなのに、セフレに好きだと言ったのだ 今の心境は、泣きたいのに涙が出てこない。 なぜだか凪いで満ち足りた気持ちでいる。 noteでは私と彼が切れてしまうまでを綴っていきたいと思う。いわば終わりに向かって進む物語だ。(もちろん現在進行系で)文学賞に応募している身でもあるので習作を兼ねて複雑たる想いを文字に落とせれば幸いだ。 セフレとまとめているが、私達

          セフレに好きだと言った女