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引っ越し回数12回、転勤族の娘による叫び

金融機関や保険会社など
全都道府県に支店があり家族と共に
または父親ひとりで単身赴任として
引っ越す家族、いわば「転勤族」
その一人娘として生きてきた話を聞いて欲しい。

私の父親は大手生命保険会社の社員だ。
母の実家、福岡で生まれて、生後三か月で父の新たな勤務先の関東の某県に引っ越した。

私には、地元がない。幼馴染もいない。
成人式に行く場所はなかった。

関東の人でも関西の人でもない、
血だけは福岡だ。
「博多美人」と言われても福岡弁は話せない。

「どこ出身ですか?」
「地元はどこですか?」
そんなの、分かるわけがない……

「寂しかったでしょ」
あなたに寂しさがわかる?

「いろんな場所に行けていいなあ」
楽しいことばかりじゃないよ!

「自分は海外に住んでたから苦労したよ。差別とかさ」
国内でもいじめってあるんだよ?
『帰国子女』って言えるだけいいじゃん!
私たちの苦労には名前なんてないよ!!


物心つくまえは、人生は当たり前に2年とか3年でお引越しするものだと思っていた。引っ越しの時は、パパもママも忙しそうで、だけど両親がいれば、それで良かった。

母親は「人生は旅行みたいなもの」と言った
素敵な言葉だと今でも思う。

(色んなことを思い出したら涙が出てきたので、数分間、筆をとめる)

私にとって大事なのは
パパとママが笑顔で健康でいること。
家族三人が仲良しなこと。
それ以外は望まなかった。二人が愛してくれたらそれで良かった。

だけど、世間を知るごとに
私は傷ついていった。

四国のある県から関西のある県に引っ越した時、学年の半ばで私立には入れなかった。

その地域は大企業の子供は私立。地元の子供は公立という経済格差のある地域だった。

お辞儀をすると
「お嬢様ぶるな」と言われた。
標準語で話すと
「東京人」と笑われた。
会社名の書かれた社宅に住んでいたから
「金持ち」と怒鳴られた。
給食が置かれるたびに、全部とられて
私が食べられるのは
乾いたパンと牛乳だけだった。

あだ名は「お嬢」と「陰キャ」

親にはなくしたと嘘をついたけど
日焼け止めも筆箱も、地元の子に壊されるか、取られた。机にはいつも悪口が書かれた。

先生は、知っていて、見て見ぬ振りをした。

前の学校では、生徒会にも入って人気者だった。友達も沢山いた。みんな泣いて引越しの日まで家に来てくれた。全てがなくなった。

世界が大嫌いになった。
学校では一言も話さなかった。

体育の授業で三人組や二人組を作るたびに、
偶数か奇数かを数えて苦しい思いをした。

仲良くなろうと話しても
「ヘンな話し方」と言われる。

自殺まで毎日考えていた私は
灘中学・高校に一番生徒を出している
有名進学塾に救われた。

その塾は毎週テストがあって
満点や上位三名は黒板に名前が書かれて
「優秀!」と言ってもらえる。

英語の面白い先生が大好きだった。
○○はすごいな!と言われるのが嬉しくて、寝る間も惜しんで勉強した。在籍中、永遠に一位だった。その世界だけで息ができた。

県外の名門高校に合格すると
散々いじめてきた人間たちは途端に褒めた。
人間はクズだ。と思った。

同時に頑張らないと認められないと理解した。

転校するたびにこう思う。
「ひとつもわからない世界で嫌われないように笑顔でいないといけない」
「クラスの、この学年の人間関係の構造を把握しないといけない」
「寂しいなんて、泣いちゃダメだ」

私は一度も人前で泣かなかった。
寂しいと言いたかったけど、言えなかった。

隣の芝は青いなんてわかってる。
引っ越しや転校生に憧れる人の気持ちも
想像したことはある。

だけど、私が経験した苦痛は壮絶で、転勤族の子供は同じように感じたこともあるはずだ。

飲み会や初対面の人に
何回引っ越したか好奇の目で聞かれるたびに
指をおりながらひとつずつ話す。
そして「どこも楽しかったです!」と笑う。

嘘つき?嘘で悪いの??
教えてよ!○県は嫌だ!なんて言えないよ!
だって同じテーブルに
○県の人がいるかもしれないんだよ???

作り笑いの裏側には涙と苦しさがある。

寂しい。もう仲間はずれは嫌だ。

だから嫌われないように、愛されるように
大事にしてもらえる価値があるように
可愛くなって、賢くなって、
良い人でいようともがいている。
お金が好きで、いじめの対象になりたくなくて、常に負けちゃだめだと思う。

本当は自分のままでいたかったのにね
疲れちゃうよ。

慶應義塾を卒業できて幸せだった。

慶應は、NY校や内部と外部があって、
びっくりするようなお金持ちもいれば
私みたいな中産階級
そして奨学金の学生もいるけれど
世間が言うみたいな差別はない。

たまにズレたことをする人がいて
悪いニュースになるけれど
(もちろん犯罪は決して許されない)
普通の慶應は温かくて良い人たちだ。

内輪ネタをしたり、仲間はずれをする人はいなかった。海外帰りだったり、色んな人がいて、みんな一緒にいるメンバーを見ながら、話していた。
真に社交的だった。
故郷なんてどうでも良くて、仲間だった。
だから、大学生のとき私は安心できた。

両親を責めない。大好きだ。
父が働いてくれたから私は塾に通えて
美味しいものも食べて、不自由しなかった。

母が家事をしてくれたから
私は家で寂しい思いをしなかった。

だけど、転勤族の親には知っていて欲しい
子供たちが経験するかもしれないことを。

今でもこの質問は苦手だ
「あなたの出身地はどこですか?」



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