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自分と毒親と


おしゃべり、おせっかい、親の顔が見たい、この子に近づくとろくな事が
ない、など
小さい頃から面と向かって近所の大人によく言われたものだ。
とにかく貶されたことはよく覚えているものだが、自分も人には相当迷惑をかけていたらしい。就園前の記憶にあるのは家を勝手に飛び出し、小学校の校内に入り込んだり、知らないお宅の玄関先に届いているヤクルトや牛乳を勝手に飲んだりしていた。
記憶にあることもあれば、後から親に聞いた事などあるが、今思えば親がそんな行動をやらせないようにするのが普通だろうと思う。母親は自分の行動には全くの無関心で小さい頃に起こした問題も子供が悪いという考えだった。自分も相当な問題児だと思うが、この母親は自分を守るという事は一切なく、自己のことしか考えない人間だ。
口癖は「ばか」と「あんたが悪い」だった。
のべつまくなしに喋り続ける母親は毎日誰かと長話するか、昼寝かとにかく一度も就職をした事がないという人間でストレスが溜まるとかイライラするとかもよく口にする人間だ。
自分は4歳くらいまで全く口がきけなかったらしく突然漢字を読み始めた。
のちに、自分の主治医からはこの生育歴と脳波などの診断から「自閉症スペクトラム」とADHDと診断された。そんなの昭和の時代には認知されておらず、自分はひと足早く流行りの花粉症と発達障害を40年代からなっていたわけだ。
周囲の大人たちからは問題児扱い、子供にもボールをいじめられたり突き飛ばされたい、突然口が聞けるようになってからは今度はしゃべる事が止まらない。しゃべり続け、幼稚園教諭からもお喋りが酷すぎると親がよく怒られていたが、親は「申年だから賑やかなのよ」と教諭も黙る切り返しで子も子なら親も親だと言わしめたであろう。教諭に何を言われても、保護者である親は一切反省をせず、娘の自分が悪いという考えなので、誰が何を注意しようとアタシは痛くも痒くもないという恥ずかしい親だった。それは30代でも今の80代でも変わる事がなく反省することもなく、強くたくましい毒親だ。
そんな母親の親、つまり自分から見たら祖母。この人もまた凄まじいわがままなお嬢さまだった。家事が一切できず、肥満で醜い祖母だった。家事は自分の母親や姉妹でやっていたとのこと。そんな祖母はかなり娘を甘やかしていた。で、孫の自分に対してどうしようもない子だと罵声。こんな子が何で存在するんだと言われた。祖母にまで優しくされない、幼少の自分。
よく53年間耐えてきたわ。
って、こんなもんじゃない、自分の人生。

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