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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2020年2月の記事一覧

真っ暗

真っ暗

「真っ暗でなにも見えない。ここはどこなんだろう?自分の爪も見えないや。これじゃあとてもじゃないが風景描写もできないじゃないか。おーい、誰か電気をつけてくれませんか?」
「スイッチどこですか?」
「誰かいた。すいません、わからないんです。そのあたりにはありませんか?」
「いや、無さそうです」
「こっちも無いみたいなんですよね。困りましたね」
「あ痛っ!」
「あ、ごめんなさい。ぶつかっちゃった。すいま

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こどもたち

こどもたち

 二人の子どもたちが食卓を挟んで座っている。子どもたちは留守番を言いつかったのだ。「いい子にしているのよ」しかし、与えられた自由を享受しない手があるだろうか?普段であれば、親の監視の目が光っている。その親がいないのだ。彼らは自由だ。子どもたちは遊びたがっている。
 彼らの鼻の下には、インクで髭が描かれている。まるで、大人の男のように。その滑稽なカリカチュアのように。食卓には料理ではなく、二人の自慢

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幸せな結末

幸せな結末

 彼は彼女に恋をした。
 誠実で実直な彼である。自分の胸の内にある思い、彼女に対する愛を、誠実に実直に彼女に伝えたのだった。
「君を愛してる」彼は言った。
「そんなわかりやすい言葉じゃ、素直に『うん』なんて言えないわ」彼女は言った。
 彼女は彼女で誠実で実直である。自分の心に彼の思いが届かなければ、首をたてにふることなどしない。
 彼は誠実で実直なので、誠実に実直に考えた。そして、詩を書くことにし

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生きるとか死ぬとか

生きるとか死ぬとか

 完全犯罪のはずだった。綿密な計画だった。そして完璧な実行。目撃者はなかったし、アリバイも完璧、証拠となりうるもの、凶器や返り血の着いた衣服その他諸々もちゃんと処分した。完全なる完全犯罪だ。それなのに。
「よう、どうした、暗い顔して?」 とそいつはこちらの顔を覗き込む。
 殺したはずの男が帰って来た。その上、こうして馴れ馴れしく話しかけてくるし、図々しく居候までしている。
「俺が表をふらふらし

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ならず者、ふたり

ならず者、ふたり

 軽やかな日射し、絹のそよ風、青い芝生の上に出したロッキングチェアでうたた寝をしている老人二人。彼らはいずれもならず者、極悪非道の悪人である。昔は俺も、的な話ではなく、バリバリの現役、鋭いナイフの切っ先のように、触れたものはことごとく切り裂く、とまあ思っているのは本人たちだけで、寄る年波には勝てないというのが人間で、切っ先もとうの昔に錆び付いて、豆腐も切れないような有り様だ。ちなみに、つい先ほどま

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笑え!

笑え!

「はい、笑ってくださーい」の掛け声で一同笑顔、まるで本当に楽しいかのような笑顔だ。それもそのはず、この日に備えて日々鍛練に鍛練を重ね、毎朝顔を洗えば笑顔、通りを歩いていてガラスに顔が映れば笑顔、教則本を取り寄せて笑顔の研究、そんなたゆまない努力、専属のトレーナーを雇った強者までいる。その笑顔笑顔の人々の間を、これまた満面の笑みで歩むのは役員風の男。「いいですね、実にいい」などと笑顔を眺めながら言っ

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ラッパ吹き

ラッパ吹き

「音楽というものがこの世に存在しなかったら」と男は思う。「おれはとっくにくたばっていただろう」
 それは真実だった。男はラッパを吹いて口に糊した。音楽以外には何もできない男だった。勉強はからきしで九九もあやしい有様だったし、運動神経はゼロ、走る姿だけで笑いものになった。家は貧乏で、酒飲みの親父と、その親父といつも喧嘩ばかりしている母親、そのどちらをも、男は嫌悪した。すべてが最悪だった。きっと自分

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逆立ち

逆立ち

 学校での体育の時間、子どもたちに逆立ちが課された。みんながんばって両手で立とうと奮闘するが、上手くいかない。ちょっと上手にできたかと思ってもすぐに倒れてしまう。悪い場合には背中から倒れて笑い者になる。
 そんな中、一人の子どもはいつまでたっても倒れずに、上手くバランスをとって両手で立っていた。
「お前らこんなこともできないのかよ」と、その子は周りを馬鹿にした。「いつまでだって立ってられるぜ」

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ナイフ投げとその妻

ナイフ投げとその妻

 サーカス一座が町へやって来た。娯楽の無い町である。人々はこぞってサーカスへと出かけた。
 空中ブランコ、猛獣の火輪くぐり、象使いが象に芸をさせ、熊が自転車を漕ぎ、道化がドジを踏む。そして、最後に登場するのはナイフ投げだ。
 美しい女が壁に張り付けになっている。ナイフ投げがナイフを手に構える。観客たちは息を呑む。
 次々に放たれるナイフ。それは女をかすめ、次々にその背後の壁に突き刺さる。そして、最

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この話は無かったことに

この話は無かったことに

 ある男についての話。
 この男の過去については語られない。なぜなら、そんなものは無いからだ。過去を持たない男。そんなものが存在しうるだろうか?子どもであったことも、学生であったこともなく、突如この世に現れた男。あるいは、男自身が過去を語ることもあるかもしれない。貧困家庭に生まれ育った、権力を憎む男。富裕層の家庭で何一つ不自由なく育ち、教育と教養を身につけた男。その他さまざまな過去を、男は持って

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あなた自身を所有するということ

あなた自身を所有するということ

「わたしの父は」と彼は言った。「彼自身を所有したということがありませんでした」
 外は激しい吹雪だった。道路という道路は封鎖され、乗るつもりだった長距離バスは運休となった。それで身動きとれなくなって、終夜営業のレストランに逃げ込んだという次第だ。終夜営業、といったところで、従業員たちもきっと大雪に足止めされたのだろう。近場であろうと、外を出歩くのは危険だ。もちろん事前の天気予報は大雪だったから、

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おとぎばなし

おとぎばなし

 あるところに美しい女がいた。実に美しい女だ。女を一目見た男どもはみな恋に落ちた。愛の告白をし、結婚申し込む者も一人や二人ではない。中には遠路はるばる女のもとを訪れ、求婚する大富豪がいるほどだった。
 ところが女はどんな男の愛の告白にも耳を貸さなかった。女はある男を深く愛していたからだ。実に平凡な男である。なんの取り柄もないような、平凡でどこにでもいるような男だ。男の何を女が愛したのかはわからない

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皇帝がやって来た

皇帝がやって来た

 ある日、彼らのもとに皇帝がやって来た。彼らは皇帝とはどんな存在なのかを知らなかった。彼らの目から見ると、皇帝は派手な服を着た初老の、髭だけはやたら元気だが、顔色の悪いくたびれた男としてしか映らなかった。
 皇帝は言った。「朕は皇帝である」
 彼らは首を傾げた。「朕?」
 そこで、まず皇帝は朕という言葉の意味を解説した。「ということで、朕は朕しか使えない言葉だ」皇帝は言った。そして、彼らには自分の

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ステージの上の人生

ステージの上の人生

 彼女は女優だった。きらびやかな衣装?明るいスポットライト?称賛の拍手?彼女には無縁だった。場末の劇場での芝居、それも脇役である。観客席には居眠りに酔っ払い、ろくな観客はいない。観客がいるだけまだマシだったが。
 もちろん、彼女も小娘の頃には夢も見た。まばゆいほどに次々焚かれるフラッシュ、シャッター音、照らし出されたレッドカーペット、人々の熱のこもった歓声、それに対しての微笑み、感謝のしるしとし

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