見出し画像

幸せな結末

 彼は彼女に恋をした。
 誠実で実直な彼である。自分の胸の内にある思い、彼女に対する愛を、誠実に実直に彼女に伝えたのだった。
「君を愛してる」彼は言った。
「そんなわかりやすい言葉じゃ、素直に『うん』なんて言えないわ」彼女は言った。
 彼女は彼女で誠実で実直である。自分の心に彼の思いが届かなければ、首をたてにふることなどしない。
 彼は誠実で実直なので、誠実に実直に考えた。そして、詩を書くことにした。直喩に隠喩、暗喩、ありとあらゆるレトリックを総動員し、自分の思いの丈を彼女に伝えるのだ。彼は詩作に励んだ。書いては捨て、書いては捨てを繰り返した。
 そして、ついに自分でも納得のできる詩が出来上がり、彼は勇躍彼女のもとを訪れ、それを読み上げる。
「君の眼差しは太陽」云々。彼女は退屈そうにそれを聞くと、こう言った。
「素敵な言葉だけど、もっと胸踊るようなものがないと『うん』と言えないわ」
 誠実で実直な彼は考えた。そして、リズムとメロディ、詩を歌にすることにした。彼はありとあらゆる楽器をマスターし、楽典を学び、世界中の音楽を聴いた。そして、ついに自分の詩が活きるメロディとリズムを見つけ、歌が出来上がった。彼は喜び勇んで彼女のもとを訪れ、そしてその歌を披露した。彼女は体を揺らしながらその歌を聴いていたが、曲が終わってこう言った。
「もっと目に見えるものがないと、『うん』と言えないわ」
 誠実で実直な彼は考えた。そして、その歌に合わせて踊ることにした。世界中の舞踊を見て回り、その技術を自分のものにした。飛び跳ね、クルリと回転し、指先はメロディを、体はリズムを刻んだ。そして、ついに自分の納得できる舞踊を身につけ、彼女のもとへ心躍らせながら向かうのだった。
 彼が歌い踊るのを、彼女は目を輝かせながら見た。しかし、踊り終わり、息を弾ませている彼にこう言った。
「すごく素敵だったけど、終わってしまうなんて寂しいわ。終わりのないものじゃなければ、『うん』と言えないわ」
 誠実で実直な彼は考えた。そこで、彼は絵を描くことにした。詩の言葉に形と色を与え、歌のメロディとリズムを筆跡にした。踊るように描かれたその一筆一筆は見るものに躍動感を覚えさせた。そして、ついに自分の納得できる一枚を描き上げ、彼は飛ぶように彼女のもとを訪れるのだった。
 彼女はその絵をまじまじと見た。目は輝き、手には汗を握っている。しばらくそうして絵を見つめため息をついたあと、彼女はこう言った。
「すごく素敵だけど、手に触れられるような確かなものでないと、『うん』と言えないわ」
 誠実で実直な彼はまた考えた。そして、彼は彫刻を彫ることにした。ノミのひと削りひと削りは言葉であり、リズムであり、メロディだった。曲線が歌を唄い、質感は舞い踊った。そして、つい自分の納得できるものを作り上げた彼は、それを抱えて彼女のもとに走るのだった。
 それを見て彼女が感動しているのは明らかだった。目は輝き、胸の高鳴りを抑えようとするかのように手を当てている。彼はついに自分の思いが伝わるに違いないと期待した。自分の思い、彼女への愛。しかし、彼女は首を横に振るのだった。
「わたし、気づいたの」と彼女は言った。「愛は、言葉や、他のなにかでは伝わるものじゃないんだと。それはそんなもの無しに伝わるものだって」
「ねえ」と彼は微笑みながら言った。「気づいてる?ぼくが君に愛を伝えようとしているうちに、ずいぶん長い時間がたってしまって、いまではぼくはおじいさんに、君はおばあさんになってしまったってこと」
「ええ」と彼女は言った。「ずっと愛はここにあったのね」
「そして、ぼくはとても幸せだった」彼は言った。



No.95

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?