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【旅日記】初めての台北、毎日がお祭りみたいな街。


ずっとこの赤が目に焼き付いている

なんで急に台湾にハマったの?と訊かれても、上手く答えられない。台湾に夢中になっている今が自然すぎて、逆に言うと今までの自分がたまたま台湾に出会ってなかっただけだという気がする。

しいて言うならきっかけは、何年か前に、後輩が台湾に留学することになり、手紙に「先輩も遊びに来て下さい」と書いてきたことだ。

台湾って、どこだろ。ってくらい当時は知識が無くて、Googleマップで調べてみたら、お寺が沢山あることに気がついた。神社仏閣巡りが大好きなわたしは、国外にもお寺があるということにそれまで気づいていなかった。日本のよりずっとカラフルで、異国情緒溢れるそこに行ってみたいと思った。

念願叶って2024年4月、台北の地を踏むことが出来た。
後輩を訪ねるのではなくて、旧友たちとの女子旅である。2019年に韓国旅行して以来、4年と少しぶりの海外だった。

街も人も、なんだか濃かった

社会人になってからの旅行は、みんな予定も住む場所もバラバラなので現地集合現地解散になりがち。ドキドキしながらひとりで福岡空港から出国し、ぼんやりと機内食を食べていたらあっという間に桃園空港に到着した。

友達と合流し、空港から台北へ向かうまでの電車の、やたら高い位置にある車窓から見た風景に釘付けになった。山肌にぽっかり穴が空いているように並んでいるのはおそらくお墓だろう。沖縄でも似たようなものを見たことがある。

植生や土の感じが違っていたが、田舎の風景は日本に少し似ていた。でも、さみしい風景の中に急に背の高い集合住宅やビル群が、ひしめき合うようにそびえ立って現れるから驚いた。そのビルの古めかしいこと、ものすごい異国情緒だった。ひと目でそんな歪とも思える世界が気に入ってしまった。

友人たちもわたしも、最後までビルの高さと古さに慣れなかった。鉄格子のついた無数の窓を見上げ、あの一つ一つに人が住んでいるのかなぁと不思議な気持ちになった。街では沢山の人々が行き交っていたが、この人たちがどこに帰るのか知りたいと思った。どんな家に帰るのか。なのに決して知ることができない、旅行者という身分が悔しかった。

街路樹の緑が優しくて、ずっとこの道を歩いていたかった

台北にはMRTっていう地下鉄があって、東京メトロみたいに線によって色が分かれている。料金は激安で、ICカードに1000元チャージしたけど運賃だけではちっとも減らず、タピオカ買う時にも使ったりしていた。
台湾初日の夜、わたしたちは、そのMRTに乗って「松山」という駅に降りた。

出口を出た瞬間の、あたたかな街の光と賑わいを忘れられない。日本で例えると、あれ、今日はお祭りがあるのかな?って感じ。色とりどりの提灯が街を彩っている。不夜城の如く煌々と光りながら夜の街に浮かんでいるのは、松山慈祐宮。その脇に饒河街観光夜市の雑踏と灯りが。のんびりと家族や恋人どうしで歩く人々。4月でもここは寒くなくて、薄手のカーディガンだけでいい。

目を凝らすと無数の装飾が。

別世界に来たみたいだった。お寺の中に入る。意外と奥行きがあり、しかも高さまである。5階建ての巨大な宗教施設。中は自由に歩いていいみたいだ。装飾が360°細かく施されている。老若男女、みんな真剣にお祈りをしていて、物見遊山で見ているのが申し訳なくなった。どこを向いても、凄すぎる。情報量と世界観に圧倒されてしまう。

こうして振り返って書いていると、深刻な空気をまとって祈りを捧げていたある女性の姿を思い出す。なにか真剣な悩み事があり、真剣な祈りがあるみたいだった。その人の纏う嘘偽りのない空気に圧倒され、飲まれそうになった。わたしはこんな風に、最後は神頼みしかない、というところまで真剣に頑張れたことがあっただろうか。どうしても、忘れられない。

台湾は、なんだか人々の顔がいい。素朴で、ありのままの感じの人が多くて、好感が持てる。家族連れの雰囲気がいい。カップルの雰囲気もいい。年若い人であっても、線香のような物を持って真剣にお参りしている姿をよく見かけた。すごいなあと思った。

何と日本と違うことか、と愕然とした普賢菩薩

台湾のお寺には道教や儒教由来の神格の他に、仏教の神々も祀られている。文殊菩薩や普賢菩薩がいた階は、衝撃を受けて息を飲んでしまった。普賢菩薩の乗っている象が、妙に写実的だ。普賢菩薩じたいも見たことの無いポーズを取っている。日本じゃまず有り得ない像容。日本で見られるほど古い時代の像ではないのかもしれないが、国が違うとこんなに違うものなのかと感心した。

黒い装束を纏った人達を見た。お祈りをしながら歌う旋律が美しかった。日本でもお経を唱えたり、宗派によっては旋律のようなものもあるが、台湾で聴いたそれは「歌」というような感じがした。ああ、もっとこの国のことを知りたい、と思った。わたしは人々が祈りを捧げている光景が好きだ。

お寺は中まであたたかい光でいっぱい

台湾のお寺は、信者の寄進によってどんどん華美になるらしいと後から知った。つまり松山のお寺はそれだけ人々に慕われているのだろう。友達とわたしは、台湾一日目にして異国を訪問することの醍醐味を味わい尽くしている気分だった。華美で、精緻で、愛のある装飾に圧倒された。視界いっぱいに金色の細工。異国の馴染みのない神々に見下ろされて、自分という存在を貫かれる。

美しく巨大な建築に圧倒されることでしか味わえない感動があると思う。それを感じることの意義に共感してくれる友達とここに来れて良かったと思った。その建築の美しさが地域の人々の生活の延長にあって、特別な日ではないのに人が集まっている。お寺を出ると右手には大きな夜市が出ている。揚げ物や、甘い飲み物を買って、みんな思い思いの夜を過ごしている。

日本では、一年に決まった日だけ、縁日が出ているお祭りに出かけていって、懐かしいあたたかな光の中で夏の思い出を作ってまた日常に帰っていくというのに、この街ではそれが毎日だというのだ!毎日この人たちは、夏休みみたいに生きてるんだ。

その事実が、何よりもわたしを驚かせた。小さな男の子の手を引く父親と母親。親子連れで夜市に来ている人たちの空気は、なんだか懐かしくて胸がきゅんとなった。この感情はうまく説明できない。東京の下町で生まれ育ったわたしが子どもの頃の、90年代や00年代初頭にタイムスリップしたみたいなのだ。本当に、わたしの子どもの頃の写真の中の世界みたい。

ああ、きっとわたしはこの質感を忘れることが出来なくて、また台北に来るだろう。そんな予感がしていた。
毎日がお祭りみたいな国。たくさんの神様に見守られた人々が、懸命に暮らす街。ずっとこの色とりどりの灯りの中を、気楽な旅行者として心地良く通り過ぎていたいとも、彼らの暮らしに入っていきたい、参加してみたいとも思った。

夜市を歩いた後、わたしたちは近くの河まで歩いて散歩した。普通の、何の変哲もない河と橋と。仲間とだべっている若者たち。誰かの日常の風景。わたしにとっても、これから何度も思い出し、懐かしくなる風景だ。

次回も台湾編が続きます。

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