推しになるということ。
ってことで、推し文化を分析しつつ、私なりの推し論を繰り広げようかと。
と、その前に以前推しがいる生活に纏わる小説を書きましたので、ご覧ください。
ということで、推し文化なるものができてから皆さんには「推し」はいますでしょうか?
正直は私には居ないかもしれんということに気づく。
推しの定義はわからんけど、調べる気もない。
あれでしょ?
異性だとセックスしたい
って思わないけど、好きだみたいな
雲の上の人みたいなそんな感じっしょ?
同性だと尊敬するとかそんな感じ?
ああ、書いていて思った。
太宰治だなあ。
正直人間性はどんなもんか知らんからわからんけれども、太宰治は好きだわ。
うん、推しだ。
そんな感じで所謂
「ファン」
って言葉が進化したみたいなやつかなと私は感じている。
んで本題。
推しになる。
推しを推す人が有れば、推しになるって人もいるわけだ。
人数比率で言えば、恐らく推す人間が八割、推される人間が二割ってとこか?
適当に考えたけれども、それくらいの比率だろうな。
推す人の特徴は
「やりたいことがあるが、やれない現状にある。」
とか、他力本願なのか、そういう人もいるだろうし
「尊敬だし、愛だ。何か行動で推しに伝えたい。」
みたいな人もいるだろう。
では、私に置き換えると、どうなるか
「小説家」「イラストレーター」「音楽家」「朗読」
今までやってきたものは、推される立場じゃねえか?
って最近考え始めた。
おっと、ここからは有料にしようかと
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