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土木学会選奨土木遺産を訪れました~旧浦村鉄橋・新潟県長岡市~

土木学会選奨土木遺産、旧浦村橋鉄橋の不動沢橋、岩田橋、旧越路橋保存橋を訪れました。

不動沢橋
岩田橋
旧越路橋保存橋

北越鉄道が信濃川に架けた橋りょうが浦村鉄橋です。

さて、北越鉄道とは。
もちろん、六日町から十日町を経て犀潟に至る北越急行とは異なる鉄道です。

 1894(明治27)年、直江津・新潟間を結ぶ鉄道会社設立が民間有志により発起・出願され、翌年12月に北越鉄道が誕生しました。渋沢栄一は創立出願では発起人会長として、1895年5月の創業時には監査役に就任、同社経営に尽力しています。
 同社の運営は順調とは言い難く、新潟地域の停車場(駅)設置場所をめぐり「新潟派」「株主派=沼垂(ぬったり)派」の間に争議が発生、1897(明治30)年5月、栄一は株主派重役とともに辞任を表明しています。その後栄一は現地関係者に書状を送り、争議について「実ニ痛心ニ堪兼候」と述べ、自分も東京の関係者に極端に走らないよう忠告するが、現地でも衝突を回避するよう努力・工夫するようにと要請しました。
 同年7月5日、栄一は臨時総会で監査役に再選されますが争議は収まらず、鉄道開業前日の11月11日には反対派による沼垂駅爆破事件にまで発展しました。
 その後も栄一は事態収拾に尽力、事件から2年後の1899(明治32)年12月8日に同社は取締役会で「沼垂仮停車場ハ新潟ニ至ル乗客ニ対シ実際不便」であるとし、栄一が推進した新潟万代橋停車場の設置を決議します。
 和解案「新潟万代橋停車場」の設置は1904(明治37)年に至り実現、その翌年7月には栄一は監査役を辞して相談役となりました。新潟と沼垂は紛争を超えて1914(大正3)年に合併、それを機に港の整備もなされ、海陸交通の拠点として飛躍的な発展を遂げました。

渋沢栄一記念財団のサイトより

北越鉄道は1907年(明治40年)に鉄道国有法により国有化され、現在はJR東日本の信越本線になっています。
渋沢栄一さんの名前が出てきました。
ホント、すごいひとだわ。

さて、浦村鉄橋の名前にある浦村とは。

浦村は1889年4月1日に発足し、1901年の合併で来迎寺村、1955年の合併で越路町を経て2005年に長岡市に編入されています。

浦村橋りょうは、単線の橋りょうでしたが、国有化されたのちの国鉄時代に、信越本線が複線化されるにあたり1952年に新潟県に払い下げられました。

新潟県の越路橋(道路橋)として利用され、そこに使われなかった部分が、岩田橋(道路橋)、不動沢橋(道路橋)としてそれぞれ利用されています。
岩田橋と不動沢橋は渋海川に架かる橋です。

調べてみるといろいろなことがわかって面白いですね。
そして旅に出るきっかけのひとつになります。

インフラツーリズム。
土木遺産を巡る旅。
そんな旅もいいんじゃないですか。

では。


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