壊れながら働くことは「生き延びる」ことじゃない
今の配属先では、ストレスで入院したり、内蔵を壊したり、精神安定剤を飲みながら仕事している人ばかりいる。みんなだいたい50歳前後だ。
長期の休職もせず、退社もしていない。そういう意味では、仕事が長続きしている。
でも、自分を壊しながら仕事を続けることを「長続きする」と言っていいのだろうか?
世の中そういうものだから?
職場でうつになったり、体を壊したりするのは「しょうがないこと」になっている。「お金をかせぐって大変なんだよ」という意味のことを、たくさんの上司たちから聞いた。
私は、そういった「お金のためならしょうがない」タイプの理屈に大きな疑問を抱く。というのも、ふつうは健全な生活を維持するために労働するべきであって、労働が人間の健全さを奪ってはいけないからだ。
自分の周りに「怪我しながら走る人」がたくさん居ると、そのことが当たりまえに見えてしまう。でも、それって本当に「しょうがないこと」で済ませていいのかな?
じゃあ転職すればいいのか
もちろん、健全な生活をおびやかすような職場からは離れたほうがいい。だが、誰もがうまく転職できるわけではない。
こういう話題になると、「どんな職場にも嫌なことはあるんだから」と言う人がいる。私もいっぱい言われた。
でも、そういう問題じゃないだろうとも思う。なぜみんな自分のいる組織を改善しようと思わないのだろうか?よく考えてみてほしい。
「命がけ」の意味
私だけかもしれないが、働くことについては次のように考えている。
「仕事には命をかけているけど、会社には命をかけていない」と。
「一緒だろ」と思う人もいるかもしれない。ぜんぜん違う。
たいてい会社について「生活がかかっているから」という理由で、心身のダメージを受け入れろという人がいる。いや、生活なんてかかってない。
生活は、働くことにかかっているのであって、会社そのものには自分の命をかけていないはずだ。ここらへんのギャップがいろいろな事故を生み出しているように思う。
第3の道をさがせ
もちろん私も今の会社で、ストレスで壊れかけたこともあるし、どうしようもなく荒れた現場に放り込まれたこともある。
でもそのたびに上司や他部署の人へ相談し、なにか改善方法はないかと模索した。人付き合いのうまい友人から、より上手に会話するためのテクニックを教わったこともある。
「やるか・やらないか」ではなく、どういう曲線を描くかを考えることが大切だと思っている。どう仕事しても100点は取れない。だからといってギブアップして0点を取るのも、違う。
しかし、いっとき30~40点しか取れないことが続くような時期があっても、健全なライフスタイルを追求しつづければ、いつかどこかで「まあこんなもんでいいか」と思えるような道を歩む日が来るはずだ。
そのうえで、なお「もっといい職場」があればもちろんそっちへ行くべきだけどね。それが本当の転職だと信じたい。