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“教育格差”とは何なのか

物質的手段の欠乏によって、人間らしい生活を送る機会から誰一人締め出されるべきではない、と声高に叫ぶことを、熱烈な社会主義者や無知な雄弁家に委ねておかなければならない必要がどこにあろうか。
この問題の議論に全力で取り組んでいる人々のうち、大半は、彼らが取り除きたいと願う害悪をしばしば増大させてしまうような、性急に思いついた計画を提案してしまう。

アルフレッド・マーシャル(2014)『マーシャル:クールヘッド&ウォームハート』
伊藤宣広訳, ミネルヴァ書房.

“教育格差”という言葉を耳にしたことのあるかたは多いと思います。
また、それを解消すべく活動している個人や団体も見受けられます。

教育格差という問題は、突然そこに現れたわけではありません。
社会における制度や、人の動きなどの諸条件がある意味で整い、現れているように思われます。

ゆえに、絡まった糸をほどくように、“諸条件”の詳細を知り、適切に処理しなければなりません。対症療法だけではだめなのです。教育の世界、経済の世界、政治の世界に問題を押し込めず、相互の関係を考えて、何をどうすべきかについて、考えなければなりません。教育格差だけに目を奪われず、“教育格差は大きな問題の一部かもしれない”という意識を持ち、俯瞰的に問題の解決を図るべきです。

教育格差ばかりに目を奪われるのはあまり望ましくないとは考えていますが、教育格差についてまずは”知る”ことで、教育格差と関連する社会問題について理解を深めることができるはずです。そこから問題の全体像をつかむのも、悪くはないでしょう。

”教育格差”とは何なのか、調べていく過程もお見せしながら、とことん調べていきます。

(2022年12月8日:調べていく過程のファーストステップを公開しました↓)

2022年12月15日:続きを公開しました↓

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