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『二枚の鏡』

 江戸幕府老中・青山忠俊の肖像画は、見る人に強烈な印象を与え、不思議な感慨を抱かせる。
 肖像画というものは、通常すました顔で描かれるものだが、ここに描かれた青山は、鬼のような形相で何かを睨みつけ、口は「へ」の字に曲がっている。今にも飛び掛からんという勢いで片膝を立て、両の拳は固く握られている。明らかに何かに怒りを覚えた時の形相だ。
 しかし、この肖像画の最も奇妙なところは、そんな形相には似つかわしくない、化粧の時などに使う二枚の手鏡が、その足元に無造作に転がっているところであろう。
 青山忠俊は、いったいいかなる人物で、どうしてこのような肖像画が描かれたのだろうか? 
 
* * *
「関ケ原の役から十六年。世の風情の、すっかり変わってしまったことよ。
 武士とは名ばかり。猛き心を忘れてしまった武士たちの、なんと多いことか!
 去年(こぞ)の大坂の陣でも、武功を挙げたのは、我々のような不惑の年に近いものばかり。若い奴らの中には、槍を持つ手がふるえているものもおったわ。
 武士が武士らしくいられたのは、慶長の頃が最後だったのだろうか。」
 江戸城西丸の長い廊下を渡りながら、青山忠俊は小さくため息をついた。
「武士の世、徳川の世は、もう終わりなんじゃないだろうか……。
 いや、そんなことはない。いくら天下泰平の世が訪れたとはいえ、猛き武士の心がそうやすやすと失われたりはしないはず。そのためにも、自分は竹千代様を、次の征夷大将軍にふさわしき人物として育て上げねばならぬのだ。」
 青山は、大坂の陣が終わった後、のちの三代将軍・徳川家光(幼名:竹千代)の傅役(もりやく)に任じられていた。
 こうして、決意も新たに竹千代のいる部屋の襖を開いた青山が見たものは、一生涯忘れることのできない光景であった。
 次期将軍として幕藩体制のトップに君臨することが約束されていた十三歳の少年は、その時、合わせ鏡をしながら熱心に化粧をしていたのである。
 若きの頃の家光は、女装して舞を嗜むなど、当世流行りの、けっして武士らしくはない趣味の世界に夢中になっていた。
 多感な少年時代にはよくあること、ともいえるのだが、猛き武士の気風が廃れていくのを嘆いていた青山にとって、そして次期将軍傅役を仰せつかったものとして、それは絶対に許せない行為だった。
「なんという恥ずかしいことをなさっておいでか!」
 にわかに駆け寄り、二枚の鏡を奪い取ると、青山は鬼のような形相で竹千代をにらみ、怒鳴りつけた。
「あなた様は、日の本の侍たちすべての頂点に立たれるべきお方。そのあなた様が、女子(おなご)のような化粧をし、舞に夢中になるなど言語道断! 
 もし今後も、このようなことをなさりたいというのなら、どうかこの青山の首をはねてからなさってくださいませ。」
 この時の青山の激しい怒りの様子を描いたのが、冒頭に紹介した肖像画なのである。
 
 やがて、竹千代は徐々に女装などの趣味から足を洗い、立派な武士へと成長していく。そして、一六二三年、徳川家光と名を変えた竹千代は、江戸幕府三代将軍に就任する。
「余は生まれながらの将軍である。諸大名と一緒に戦場を駆けていた先代、先々代とは違い、諸侯の上に立つべく生まれた人間だ。不服のものがいれば、弓矢をもって戦おうぞ」
 力強き家光の将軍就任の弁を聞き、青山も苦労の甲斐があったと胸をなでおろしたことだろう。
 将軍宣下の直後、青山忠俊のもとに家光から特別な下知(げち)が届いた。
 これまでの労をいたわり、領地加増でもしてくれるというのだろうか。
 それならば、青山は断ろうと思っていた。家光様はまだ将軍になったばかり。自分の役目はまだこれからなのだから……。
 いつも以上に口元を引き締め、青山はそっと文を開いた。
「青山忠俊の所領、4万5千石から2万へと減封を命じる。また、追って蟄居の命が下るであろう」
 将軍家光は、過去の自分に叱責を加え続けた、いや大人になってからも大勢の前で諫言を続けた青山を苦々しく思っていたのだ。そして、自分が権力の頂点に立った時、青山を自分の面前から排することを決めたのである。
 一方、青山は、誠が通じなかったのは自らの力不足として、一言の文句もいわずに下知を受け入れ、その後は隠居のようにして世を過ごしたという。
 生まれながらの将軍家光の成長と青山忠俊の失脚は、戦国の世から太平の世へと移り変わる時代そのものを映しだしたものといえるかもしれない。
 あの時、投げ捨てられた二枚の合わせ鏡のように。

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