Mustang

中学生の時に父の仕事にともないアメリカに移住 現地で出会ったツインレイの彼との魂の成長…

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中学生の時に父の仕事にともないアメリカに移住 現地で出会ったツインレイの彼との魂の成長と壮絶なラブストーリーを綴っています フィクションを超えたノンフィクション

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  • 私自身について

最近の記事

祖父の死

そんな中で、大好きだった祖父が亡くなった。 祖父は肺がんを患っていたけど、手術中の医療ミスもあり長期間、意識を回復することなく亡くなってしまった。 祖父の葬儀に出ることができなかった父の想いが私に流れ込んできたような感覚に襲われて、葬儀の間ずっと号泣していた私。 大切な人の死を初めて目の当たりにした高2の初夏だった。

    • ゆとりのなさ

      私も彼もお互いに、想像以上に過酷な環境に身を置いた。 今の様に手軽にやり取りできるツールはなかったしあっても、使うことさえ禁止される。 せめて手紙を書くか、決められた日時に電話をするしかなかった。 それも時間がないとかゆとりがないとか、環境が悪い中でするしかなかった。 帰国直後、強かった私の精神は少しずつ崩壊に向かっていた。そんな私に気付くゆとりさえ彼にはなかった。

      • 彼の戦い

        私が家族の事情に苦しみ、ただ時間をやり過ごすように戦かっている中、彼も戦っていた。 軍隊という特殊な世界で。 彼はBoot Campで脱落してもおかしくないくらい ひょろひょろで、大きな声を出して叫ぶタイプの人間でもない。 しかも彼は海軍に入っておきながら泳げなかった。これは致命的だったと思う。どうやってBoot Campをサバイブしたのか謎だ。 でも私を背負ったからには何があっても引き返せなかった。 無事にBoot Campを卒業したおめでたい席に私がいることも

        • May

          私たちにとって5月は特別な月だ。 付き合い始めたのが5月だから。 この愛おしい5月。 永遠に忘れない。

        祖父の死

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          悲惨な年

          2002年 色んな悪いことが順番に待っていることを覚悟して帰国した私に覚悟していた不幸が襲い始めた。 まず最初の不幸は両親の離婚。 次に、父の蒸発。 祖父の医療ミスからの死だった。  どの不幸も半年として時間が開かなかった。 想定していた不幸がどんどんハイスピードで実現化していって、想像以上に私の心はきつかった。 高校2年生になった私は授業を中抜けする事が 増えていき、文化祭の頃にはふらふらになっていてなんとか文化祭の模擬店をやり切った事が記憶にある。 高校

          悲惨な年

          お酒・タバコ・タトゥー

          10代で付き合い始めた私たち。 当然、お酒もタバコも違法だ。 ある時、彼から意見と同意を求められたことがあった。 彼のお父さんがアルコールに溺れていたことから 彼は極度にアルコールに対して抵抗感があった。 'アルコールは人を変える。だからあやかには飲める年齢になっても飲んで欲しくない。飲まないことを約束してほしい。'彼はかなり真剣だった。 私の祖父も酒乱傾向にあったことから、彼に約束した。 私 '分かった。飲まない。Cも飲まないって約束して' 彼 '飲まないよ

          お酒・タバコ・タトゥー

          バイト先とバイトの先輩達

          鳴っている携帯を見るとバイト先の先輩だった。 バイト先は乗り換え駅にあるコンビニ。 私が働く時間帯のメンバーはほぼ大学生男子だった。 その先輩とはシフトが一緒で少し前に連絡先を交換したばかりだった。 先輩は大学生3年生になったばかり。 偶然にも私と同じ誕生日で、話好きの先輩は高校生の私にもよく話しかけてくれる人だった。 不慣れな仕事もさりげなくフォローしてくれた。 バイト先に向かいながら電話で話すと 不思議とさっきまでのケンカの嫌な感情が紛れた。 これが私の

          バイト先とバイトの先輩達

          初めてのケンカ

          私と母は引越し先が決まり、学校の編入テストも無事にパスし、その日のうちにアルバイトも見つけた。 とにかく2年間の間に結婚資金を貯めないと!と考えた。 そこにフォーカスしている間に2年は過ぎると信じていた。 実際は頭で考えていたよりもずっと複雑だったし スムーズにはいかなかった。 日本での新生活は平日は朝7時5分の電車に乗って学校にいき、17時から21時までアルバイトをして帰宅は22時と言う生活になった。 土曜日も朝11時から19時までアルバイト。 私のおオフは日

          初めてのケンカ

          残された彼

          私の帰国前日の2001年10月17日アフガニスタンへの報復が始まった。 テロのせいか、彼の身辺調査は長引いて、なかなか入隊出来ずにいた。私と過ごしていた時間をアルバイトに当てることにした彼。 思うようにことが進んでいかないのはこの辺りから始まった。 Wendy's時代の貯金もなくなり始めたのか、Marshallsと言う量販店でバイトを始めた。 私と一緒に過ごすことが日課になっていたし どこも私と過ごしたところばかりで、思い出すのが自然だ。 でも私には泣き言を言わな

          残された彼

          帰国後の私

          帰国したものの住むところがなかった私と母。母方の祖父母の家に居候するしかなかった。母は一日中、職探し、住居探しなどで留守にしていた。私はというと、日本の高校に編入する為に作文の練習をする毎日だった。 当時の私は小6レベルの日本語の文章と漢字しか書けなかった。散々、母からダメ出しされる日々。 父母の為に協力するスタンスでわざわざ戻ってきたのになんでダメ出しばかりされてるのか、、、英語にしか触れていなかったのだから、出来が悪いのは自然だし、それでも一日中ずっと一人で作文と格闘

          帰国後の私

          アリサ

          お金がない中での帰国は荷物を最小限しか持ち帰れずほとんどを売ったり、処分するしかなかった。 友人から誕生日にもらった特大ミッキーは彼との今後を考え、仕方なく処分した。 でも大切にしていた漫画や、思い出のあるぬいぐるみを捨てる事はどうしても出来なかった。 それらを彼が狭いアパートに保管してくれた。 そして私の幼き日にサンフランシスコ土産で父からもらったウサギのぬいぐるみに彼は'アリサ'と名付けた。 'アリサ'は彼が我が子につけたかった名前だった。 私が座っていた助手席

          帰国の日

          2001.10.18 帰国の日の朝をとうとう迎えてしまった。 帰国すると言ってもこの時点ではまだ日本での住まいも、学校も何一つ決まっていなかった。 それでも1日でも早く帰らなければ!と言う思いの母とはどこまでも対照的だった。 フライトは午後の便だったので、午前中少しの時間だけ 彼といつもの公園の駐車場で過ごした。 その後、自宅に戻り大家さんに鍵を返し、 英語のできない母の替わりにお礼を言った。 空港までは彼のお父さんと彼が送ってくれる事になっていて迎えにきてく

          帰国の日

          救いの手

          私の帰国を知った彼のお母さん。 彼を通じて、お母さんが私を預かってもいいと言っていることを知った。 まさかと思い、話を半分に有り難く聞いていた。 いつもの様に彼のアパートにお邪魔すると いつも挨拶しかしないお母さんが、私のところに来た。 彼も何するんだろうと思った様でお母さんを見ながら少し離れて立っていた。 するとお母さんはスペイン語で話し出した。 一通り話すと彼に訳させた。 どうやら、私が彼からの話を真に受けてないと思い直接話してきたようだった。 お母さん

          救いの手

          帰国のカウントダウン

          テロ以降、私の帰国の話が出たり、彼の妹に彼氏が出来たり、友人が転校したり、自宅に債権者が来たりと短い間にいろんなことがあった。 私の帰国日も10/18に決まり、いよいよ帰国のカウントダウンが始まった。 私達は後から2人で見返すために、夏休みに買ってもらっていたビデオカメラで残りの日々や私達の日常を撮影をする事にした。 学校は帰国の一週間前には辞めて、 2人で過ごす時間を確保した。 今までお家デートが大半で、出かけても映画館か公園程度だった私達。 そんな過ごし方が好

          帰国のカウントダウン

          債権者の訪問

          父の会社の経営が上手くいかず ある日、帰ってくると母から相談された。 債権者の日本人がパソコンを家まで取りに行く来ることになっていて怖いから立ち会ってほしいとのことだった。 あまり怖いと言う感じがアメリカ生活をしていく中でなくなっていた私。 'いいよ。いればいいんでしょ。'と軽く返事した。 でも母は浮かない顔で、'Cくんにもいてもらうこと出来ない?'と聞いてきた。 母は家族以外を家に入れることに少し抵抗感がある人だったので、そんなことを言われてびっくりした。 '

          債権者の訪問

          ボーイズファースト

          彼のレディースファーストは徹底されていた。 それは誰に対しても徹底されていたのではなく 基本的には自分の親しい女性限定だった。 お母さん、おばあちゃん、妹、友人、先生と私。 街で映画館の扉を抑えたりと言う程度の事は ケースバイケースだった。 親しい女性に徹底された彼のレディースファーストの中でも私に対するレディースファーストは最高峰だった。 そうしたいから、すると言う感覚だったのだろうけど、あまりにも私を優先するから'Boys firstだよ'とたまに階段を先に

          ボーイズファースト