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帰国の日

2001.10.18

帰国の日の朝をとうとう迎えてしまった。

帰国すると言ってもこの時点ではまだ日本での住まいも、学校も何一つ決まっていなかった。

それでも1日でも早く帰らなければ!と言う思いの母とはどこまでも対照的だった。

フライトは午後の便だったので、午前中少しの時間だけ

彼といつもの公園の駐車場で過ごした。

その後、自宅に戻り大家さんに鍵を返し、

英語のできない母の替わりにお礼を言った。

空港までは彼のお父さんと彼が送ってくれる事になっていて迎えにきてくれた。

お父さんがスーツケースを車に積んでくれて

4人で空港に向かった。

彼と交際を始めてから、どんな風に彼を見送るのだろう?と何度も想像してきた。

でも私が見送られる側になるとは思いもしなかった。

軍隊と言う特殊な世界に行く彼をせめて私が

見送ってあげたかった。

そんな簡単そうなことすら私は出来なかった。

ただ無念を感じた。

空港に着くとお父さんと彼がスーツケースを下ろしてくれ、お父さんとはそこでお別れした。

彼は私と一緒に空港の中まで来てくれた。

母が荷物を預け搭乗手続きをしている間に

可能な限り、伝えたいことを優しく伝えてくれた。

母の様子を確認してから、泣きじゃくる私に彼は泣くことなく

抱きしめ、キスをし、カードをくれた。

'あやか、これは絶対に日本に着くまで開けたらだめだよ。着いたら開けて。大丈夫だから。また会えるよ。結婚するんだから。2年だけ待とう。車、そんなに停めておけないからそろそろ行くよ。気をつけて。愛してるよ'そう言って彼はお父さんが待つ車に戻って行った。

私はそんな彼の姿を見送った。

搭乗待ちの間、やっぱりこんなの無理だと思い

彼の自宅に電話をした。

電話に出た彼は平静を装った。

本当は私と同じで全然大丈夫なわけがなかった。

でもいつも通り、穏やかに優しい口調だった。

'あやか、何してるの?もう恋しくなった?'と笑っていた。

'やっぱり無理、、、日本には行けない。'

'あやか、泣かないで。大丈夫だよ。愛してるよ。もうそろそろ時間だよ。あやかが電話を切って'

電話までレディースファーストだった。

電話を切り、飛行機に乗った。

離陸し、どんどん街全体が見えてきた。

学校が見えた。

でも彼のアパートは見つけられなかった。

周りも気にせず号泣した。

成田に着くまで何度もカードを見つめた。

でも日本に着いたら、、、と約束したし、封筒にも日本に着くまで開けないように書かれていており、沢山我慢した。

成田についてバスに乗り、すぐにカードを開けた。

そこには今までの感謝の気持ちと愛の言葉が

ギッシリとかかれていた。

ずっと一緒にいたはずなのに、いつの間にカードを買って、書いたんだろう?と不思議だった。

このカードのおかげで今にも崩れ落ちそうなタイミングで彼の強くて深い愛情を感じることができた。

それは彼の意図だった。

日本についた私がどうなってしまうか想像がついた彼。

だから、1番辛いと思われる時に少しでも彼を感じられるように

日本についたら読むように、泣きじゃくる私に約束させたのだった。

私は次成田に来る時は、彼と会う為に来ると誓った。

でも、またしても私は母からそんな願いさえも潰されてしまうのだった。




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