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『思考の整理学』を読んで。

読書の秋だと思い、積読していた一冊に手を付けた。
この季節になると積まれていく本の方が多くそのタワーの高さはじわりじわりと記録を更新していく。
この本は今年の春ごろに買って、少し読んでからタワーの一部になっていたが、読み切った後にはもっと早く読んでおけばよかったと口走ってしまった。
そんな名著がこのタワーにはたくさんあるのだろう。


飛行機人間になろうよ。

学校はグライダー人間の精製工場だという。
自らエンジンを携えていると煙たがられる社会。
右にならえで社会性を知り、学校で教わる授業は考えることより、知識のインプットがメイン。

そんな知識詰込み型の学習をしてきた人間はAIとやらにとって代わられてしまう時代が来た。
知識の量だけで考えるならスマホに頼った方が明らかに速くて正確だ。
テストも100点取れてしまう。
知識を詰め込むだけ、そこがゴールのテストは正直何の意味もない段階に来てしまっていると感じた。
もちろん、知識をないがしろにしてはいけないし、それ自体はすごく大切なものだが物事を解決するための道具に過ぎない。
知識、歴史を踏まえた上で、何を生み出すか、何をしていくかという創造的な思考を求められるフェーズに来ているのだと思う。
それを考えることができるのはAIでなく人間であり、取って代わられないために必要な要素なのだと思った。

この本は思考の具体的な整理方法となぜそれをするか等のことが書かれていて自分が実践しているものもあれば、アッと思わされる考え方もあり、自分のためになる本だった。

この本を読み終えて1番感じたことは学生時代の古典の勉強についてだった。
当時は古文、漢文のテストでいい点を取るためという目標があって勉強していた。
ただ卒業してからそれが活きるのは受験勉強の話を友達と振り返って話す時くらいだった。
しかし、社会人になってからある人に影響を受けて、1つ読みたい古書が出てきた。
懐かしい古文がずらーーっと並んでいる。
そして、その時に感じた。
古文の勉強は古文をただ読めるようになってテストで点数を取れるようにするものでなくて、過去の偉人が書き残した名著をそのまま読み理解できるようになるための道具だったんだということに気が付いた。
偉人が何を感じ、何を考えて、どう行動したのかを誰かが訳して濁ったものでなく、その神髄を直接感じるための道具だったんだと。
テストのためでなく、そのための勉強だったんだと気が付いた。

そんなことをこの本を読み終えてしばらく経ってから感じた。


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