社会人10年で5回も転職した話#3~好きなことが仕事は幸せ?③~

今年は全国津々浦々、至る所で夏フェスが開催されますね。
4年前では普通だったことも、ニュー・ノーマルが登場し、夏フェス自体が開催されることが奇跡みたいになりました。
でもやはり、今年も夏はかなり暑いらしいですから参加する人はぜひ熱中症も気をつけてくださいね。
私もロッキンオンジャパンフェスには参加しますが、今から暑さに負けそうで戦々恐々しています・・・

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さて、今回はいよいよ退職を決めた経緯を話します。
ここは退職するのにかなり時間を有した記憶があります。
なぜなら、私のように「辞めます」と言って正式な順序を踏んで辞める人よりもバックれる数の方が圧倒的に多く、人材の流出がものすごく高かった会社だったのです。
でも、私もせっかく夢が叶ったのだから、踏ん張ろうとして他の同僚と労働環境について直談判をしたことがあります。

▪︎直談判
私たちが直談判をしようと思ったきっかけは「労働時間」でした。
朝決まった時間~終電が普通で、それが常時。
もちろん体力はそこを尽きるし、土日に休めると思いきや、ニュースは土日関係ないからと、家に持ち帰って働かされていました。
しかも今では考えにくいですが、支給されているパソコンがあるのにそれを自宅に持ち帰るのはNGで、なぜかプライベートPCで仕事をさせられていました。
毎日同じ社員が、朝から晩までいますが、もちろんニュースがない時間帯(主にお昼以降~夕方まで)は比較的暇だったし、曜日によっても変動が結構あったので、私たちはシフト制を提案しました。
もちろん、土日の出勤時間も含めてのシフト制です。
曜日でもそうだし、1日の時間帯も朝の部と夜の部で分かれて交代したい、そう話しました。
(後から知ったことですが、こういう編集業務の部署はシフト制だ、と聞いてやっぱりそうだよな~と辞めてから知りました。)
でも全く受け入れてもらえませんでした。
朝礼は全員参加だからダメ、シフト制にしても仕事量は同じ・・・モゴモゴと言われ全く通らなかったです。

また、有給休暇というものはまるでなく、社員にならない限りは保険証も発行されないし、年金も会社が半分負担してくれることもありません。
契約期間は定められておらず(もしかしたら契約書もあんまりなかったようなものかも)、社員になれるかなれないかは完全に社長の気分でした。
それにもかかわらず、正社員と同じ責任と仕事を押し付けられ、新人の面倒を見ていたのも納得いかなかったし、一番「はあ?」と思ったのが正社員になれるかどうかは「先輩からの進言のみ」という部分でした。
だから、先輩がその後輩を気に入らなければいつまでも契約社員の安月給で働かされるし、逆にいうとうまく取り入ればさっさと正社員になれる、という滅茶苦茶な制度でした。
要は、編集長が部下を見ていないし、興味もない。
どんな会社だよ、という感じですが本当にそうだったのです。
それも一緒に訴えたのですが、これは私が「辞めるから」と言った途端、急に手のひらを返して、給料も上げるし、社員にもする、と言ってきたのでほどほどに呆れました。
前からそういう気があったけど、多分しなかったのだろう、コストがかかるから。
そんな直談判をするために、社労士のテキストとかも読んでいました。
法律を武器にしないと、ディスカッションすらできないと思って起こした言動でした。

▪︎え?心霊現象????
辞める、辞めない論争が3か月くらい続いていた時、私の部屋に異変が起こりました。
きっかけは、久しぶりに訪れた母親(ちょっと霊感がある)の一言です。
「ねえ、あんたこの部屋になんかいるかも」
嘘か誠かはさておき、そのフレーズだけで恐ろしくてしょうがなかったです。
「もしや、あんたずっと体調悪くない?」
そう聞かれて、めちゃめちゃ思い当たる節がある・・!
ここ数週間微熱が続き(もちろん妊娠でもなく)、頭痛が止まらない。
食欲も戻らないけど、きっとこれは疲れているんだと思っていたところだったのです。

そしてもっと怖かったのはトイレ。
少し話した通り1週間のうち5日は朝から終電まで会社なので、帰宅はいつも真也1時。
寝るのは3時を過ぎていました。(毎日)
真冬でしたので、湿気どころか乾燥しているはずだし、トイレはほとんど入っていません。
なのに、黒ずみ汚れがとにかくしつこい。
土日に掃除しても、その2日後には黒ずみが発生・・・というサイクルが数週間続いていたのです。
スピリチュアルなことには詳しくはありませんが、これは人間ではない何かの仕業だ・・・と思うくらいに不自然な状態が目の前に広がっているのです。

見かねた母が、家を掃除して、お清めの塩を玄関やベランダにまき、トイレと玄関に盛り塩を置き、1週間経ったら私の体調も回復、トイレも汚れることがなりました。
もうこれは何か別なもの連れてきてました、完全に。(泣)
よくわからないですが、人が疲れていたり、メンタルがやられていたりするとよくないものがついてきちゃうらしいですね。
私は霊感もないし、疲れがピークすぐてその気配にすら一ミリも気づかなかったのはある意味ラッキーだったかもしれません。

▪︎音楽が嫌いになることへの恐怖
この仕事を続けていくうちに一番怖かったのは「音楽を嫌いになる」でした。
ニュースの編集業務は自分が想像している数よりも多く、かなり時間と労力を削られました。
それこそ有名なアーティストのアルバムリリースや、ツアーの発表は良いのですが、まだ駆け出しの、誰にも知られていないようなアーティストのニュースが入ってくるたびに「面倒だな・・・」と思うようになってしまったのです。
応援していかないといけない立場の音楽ライターがそんなことをも思っていいわけがありません。
むしろ、駆け出し中だからこそメディアの力と自信の文章力で表舞台に出させるのが仕事です。
大好きなアーティストのライブに行きたくてもいけなくなったり、新しい音楽を見つける気力がなくなったり、あんなに私の人生を変えてくれたバズだった音楽が「嫌い」になりそう・・・
それはとても耐え難いことでした。
これぞ本末転倒。そんな恐怖とも戦う日々が続いてしまったのも退職するきっかけになりました。

▪︎消えた先輩
女王様にすっかり侵食されかけた会社でしたが、その中でも私のことを気にしてご飯に誘ってくれた先輩がいました。
その人は女王様よりももちろん先輩で、優しく、不器用ながらも面倒を見てくれる人でした。
私が女王様に虐げられていることを見かねて、助けてくれた人でもありました。
その人は女王様の謎の当たりもうまくかわし、華麗にスルーできていましたが、なぜか編集長にパワハラを受けていました。
なぜ受けていたのか不明ですが、いつも罵倒されておりいつも謝っていました。
私はその先輩に何度か「大丈夫ですか?」と声を掛けさせてもらっていたのですが、ある日突然会社に来なくなりました。
周りの社員に聞くと、また編集長に怒られたようだ、しかも罵詈雑言で、と言われた。
どうやらついに心が壊れて、実家に帰ったようだと聞きました。
仕事もでき、後輩の教育も任されていた人でしたが、編集長にはなぜか嫌われており、その人がしていた仕事は私が引き継ぎました。
その時、思ったのです。
どうしてまともに働いている人がバカを見るようになるのだろう。
もっと会社が気にするべきではにないか?
人材は企業によっては人財、と言われるほど、会社にとって重要なことではないのか?
しっかり働いている人に、それ相応の給料が支払われる労働環境は必要なのではないのか?
ーこれが、のちに私の人生を変える出来事となりました。
社員が楽しく働ける環境は作れないものか・・・と

この一連の出来事があり、私はなんとかこの会社を退職。
好きなことが仕事は幸せだったか?
と聞かれると、今でも正直即答はできません。
でも一つだけ言えることがあるとすれば、この仕事に就いたおかげで
今の自分がいることと、夢を叶えたことでその後の諦めがついたり、前を向けたりしたことは良かったことではないかなと思います。
だって、この仕事つかなかったら、私は今でも音楽ライターの夢を追いかけていたかもしれない。
年齢を重ねるごとにこういうことにチャレンジする機会が減っていく中で、一人悶々としたかもしれない。
そう考えると、こういう仕事が経験できて良かったなと思います。
もちろん、今でも音楽は好きだしライブにも行けているから、本当に嫌いになる前に辞められて良かったと思いました。

とはいえ、正社員になれるかわからない契約社員になるのも怖かったし、何より、また変な会社を引きそうで怖かった私は一旦リハビリをこめて派遣会社が行う正社員雇用を利用しました。
派遣と変わらないですが、派遣会社が正社員として雇ってくれているので社会保障もしっかりしているし、給料は少ないですが、ボーナスもちょっとだけ出ます。
次回はこの会社に就職した話をしますね。

それでは、また。


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