Kazumi Someya

英語⇄日本語の通訳・翻訳で音楽に携わる 国産・無資格の成り上がり 雑誌 BURRN!に…

Kazumi Someya

英語⇄日本語の通訳・翻訳で音楽に携わる 国産・無資格の成り上がり 雑誌 BURRN!にコラム Lost And Found InTranslation 執筆中

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最近の記事

引っ越しました

古い新居、と呼んでいた品川の部屋に暮らして早8年。9月末に更新を控えた8月末にコロナ罹患と相成り、ぼんやり頭でその手続きを進めていたさなかに、かねて相談していた別の家主さんから連絡が。「空き部屋のリフォームが終わったけど、内覧します?」 します、します! しかし、このタイミングかあ。もう更新の返事をしてしまったし、撤回して9月末で退去するなら残りは3週間を切っている。更新料プラス1ヶ月分の家賃を払う…ってことになるのかなあ。契約書とニラメッコしつつ、でも、せっかくのチャンスだ

    • コロナやりました

      せっかくなので記録しておこうと思います。 8月25日(金)の午後。 ライヴ観覧に出かけるに先駆けて腹ごしらえを…などとルートを考えながら化粧をしていたらムムムッ、これはおかしい。熱があるんじゃない? 急激に体がポッポしてきて頭痛がガンガン。もしや熱中症だろうか。だったらイヤだなあ、いかにも中高年だなあ。測ってみたら37.6度。風邪をひいたって熱なんか滅多に出さない私としては驚異の数字である。なにはともあれライヴはキャンセル。そのまま寝てしまう。コロナか? コロナなのか? つ

      • My Walkin’ 〜2023年お正月編その3

        1月3日。お正月で物流が止まっているうちに行っておきたい地図上のグリーンがもうひとつ。お台場の果ての細長い公園。今日はそこを目指す。やはり過去に挑んで挫折した場所。去年の5月ぐらいだったかな。理由は、歩道は広く設けられているけれども沿道の倉庫やコンテナヤードに大型トラックがひっきりなしに出入りするから怖いのと、空気が悪いのと、影ひとつない炎天下の直線で季節的に暑くて体力奪われたのと…要は城南島のケースと同様。なので今がチャンスだろう、と。お台場のグリーンはほぼ歩き尽くして、残

        • My Walkin’ 〜2023年お正月編その2

          1月2日。東京は引き続きの晴れ。モノレール天王洲アイル駅まで歩いて、2駅先の流通センターまで乗車。車窓には日頃歩き慣れた京浜運河沿いの緑道が続く。そう、歩いたっていけるんだけど、島でどれだけ歩くことになるかちょっと読めないので体力温存ということで。 城南島には都営の野鳥公園があって、年間パスポート保持者の私はよく通っているのです。でも、この日の目的地は地図上で島の先端に伸びている緑色のエリア。羽田空港に発着する飛行機が間近に見えることで有名な城南島海浜公園。実は前に一度チャレ

        引っ越しました

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        • 房子さん
          2本

        記事

          My Walkin’

          大田区島巡り計画 & 正月だから物流の世界へ計画〜「京浜島」 2023年元旦 先日の昭和島ウォーキン時に確認した京浜島の緑道入り口を目指してモノレール昭和島駅に降り立つ。誰もいるまい、と思いきや他に数名、下車する人あり。いずれも男性で、私とは別の改札へ向かって行った。仕事なのかな。いや、昭和島の公園に行くのかも。 団地」を抜けて公道に出たら、目の前が京浜島へ渡る橋。ユリカモメかしら、大きなのが街灯にとまっているので、落とし物に気をつけながら下を通過。すれ違ったのは自転車数

          野田市下町、生まれた辺り

          千葉県野田市の出身だと言うと、関東圏で育った人からは「キッコーマン醤油工場の見学に行って小瓶をもらった」もしくは「清水公園のフィールドアスレチックに遠足で行った」という反応をもらうことが多い。他には無いのか、と思うが実際、無い。あとはゴルフコースが有名、ってことぐらいかしら。 私も専門学校の2年間と就職後数年はここから都内に通った。東武野田線で柏へ、常磐線で日暮里へ、そして山手線で新宿へ、更に丸の内線で御苑前へ。高額定期券フル活用で休みの日まで都内に遊びに出かけていたのだか

          野田市下町、生まれた辺り

          春の野鳥公園ウォーキン

          東京港野鳥公園。大田市場のお隣。大井埠頭の先。羽田空港の手前。すぐ脇をコンテナを載せた大型車がボンボン走り、低空で大きな飛行機がボンボン飛んでくる。そんな立地。 試しに行ってみた初回はコロナ禍ウォーキンも堂に入ってきた2020年10月。すっかり気に入って年間パスポート 1,200円を購入。その日もパスポートで入場したことにしてくれて、大人1回 300円だから、あと3回で元が取れるなんて超お得!。。。と思っていたら、2021年はその後、緊急事態だぁ蔓延防止だぁと、こちらは都営

          春の野鳥公園ウォーキン

          新富町あたりウォーキン

          2022年2月17日。コロナ家の第何子にあたるのか知らんが、だいぶ暴れん坊なオミクロンちゃんに日本中が手を焼く中で、密かに続く私のウォーキン。よその駅まで出かける時は、最寄駅から山手線の一番後ろの車両に乗ると終日だいたいガラガラだということも学んだので、実は先頭車両が一番近い改札から入って15 両分ホームを歩くところから始まるウォーキン…いや、最寄とはいえ自宅から1キロはある駅まで歩くところから、だな、まずは。因みにそれはずっと下りで、即ち帰りはずっと登りの1キロなのだ。ゆる

          新富町あたりウォーキン

          豊洲ぐるり公園をグルリ、でグルグル巡る思い〜2021年11月30日のウォーキン

          オリンピック/パラリンピックが終わるまでは近づくまい、と決めていた豊洲エリアにとうとう戻って来た…って、終わってから既に何ヶ月? 3ヶ月かな? いつの間にやら11月も最終日。晴れ続きの東京はこの日も快晴で、暖かくて空が霞んでいる。大崎駅から臨海線で15分とかからない国際展示場駅で下車。ここから山手線の浜松町駅まで北上ウォーキンしたのは今年の1月だった。五輪をやるのかやらないのか、宙ぶらりんの中で各所工事が進んでいるような止まっているような、そんな風景の中を歩いて行くと最後にド

          豊洲ぐるり公園をグルリ、でグルグル巡る思い〜2021年11月30日のウォーキン

          2021年3月21日 ウォーキン in 夢の島

          りんかい線新木場駅といえば、海側のスタジオコーストで開かれるコンサートには仕事でもお客さんでも何度も通っていたけれど、駅を挟んで反対側があの有名な「夢の島」だということは、コロナ禍ウォーキンに伴って地図をよく眺めるようになって初めて認識した。あの有名な、が通じる世代も私ぐらいまでかしら。夢の島といえばゴミの島。東京で溢れたゴミで埋め立てた島。積み上がるゴミをならす重機、その周辺に飛び交う虫、それが風に乗って対岸に押し寄せ…みたいな絵柄が記憶にあるんだけれど、遡れば戦前に飛行場

          2021年3月21日 ウォーキン in 夢の島

          7月7日

          カスミソウの日、なんだそうだ。そんなの全然知らなかった。母の遺影の小さいのを持ち帰って来てから何となく花を飾るようになり、そのために通りがかりの花屋をよく覗くようになり、それで触れた情報によれば、小さな白い花の集まりを天の川に見立て…ということらしい。 今日で1年。墓参りはどうしよう。そこにはいません系の人だとは思うけど。実家は姪っ子にベイビー誕生で沸き立っており、東京モンとしては尋ねるのも憚られる。あちらはフロントラインワーカー揃い、だから「気にしないよ」と言うけれど

          7月7日

          兵どもが夢の…前

          1月11日のウォーキン。 臨海線国際展示場前駅からスタート。484号線をまっすぐ北上すれば、1時間ちょいで汐留に着くはずだ。左側の歩道に出たのでそのまま歩き始める、が、同じ電車から降りたそれなりの数の人々は何故か迷わず信号で右側へ渡っていく。若夫婦、みたいな層。少し先へ進んだら、なるほどそうか、そこに噂のニュースポット、有明ガーデンがあるんだ。大通り沿いのファサードは普通のオフィスビル風だけど、中には8,000人規模のシアターも、劇団四季のシアターも、ホテルも風呂も、関東最

          兵どもが夢の…前

          たぶん人生最後の喪中

          時を駆ける少女、というのがいたが、駆けるのは時の方であり、かつての少女はすっかり置いてきぼり。早い。いや、速い。コロナは地軸にも影響を及ぼしているのでは、と思うほどに。 喪中につき新年のご挨拶をご遠慮云々、というご挨拶を申し上げるのが大人ってものなんだろうが、改まった新年のご挨拶自体をご遠慮して久しいのでそれも何だか。代わりにはならないけれど、滞っていた note をまた書いてみる。 8月の終わり、母の四十九日法要・納骨にあたり実家に数日滞在する間に、遺品の洋服を思い

          たぶん人生最後の喪中

          In the right place at the right time...

          今回もまた、Facebook が思い出させてくれた2年前の今日。その3日前に取材通訳の依頼があり、2日前に取材が実施されて、帰りにファミレスで録音を聴きながらライターさんと編集者さんと3人で和訳を確認し、ライターさんが一夜でまとめて編集者さんと仕上げたのが CINRA の記事でした。その時の通訳リストに私の名前があったこと、依頼の電話にすぐ出られたこと、打ち合わせも含めるとかなり長い拘束時間だったけれども他に仕事が入っていなくて対応可能だったこと。幸運に幸運が重なっての大役で

          In the right place at the right time...

          30年がかりって、長すぎるけどアッと言う間で。。。

          Facebook の思い出コーナーに上がってきた。そうか、去年の今日が最終日だったか。確か台風で荒れ模様で、普通に黒い服でまとめて行ったんだけど、ゲストとの共演パートのリハで顔を合わせたご本人から「もっと楽しい格好して。髪の毛ピンクに染めるとか」とダメ出しというかムチャ振りというか、をされて楽屋裏の皆さまに相談。アメリカ側のスタッフがピンク系のマーブル柄のカットソーを貸してくれて何とかごまかしたのだった。私が着られるサイズの服を持っている人がいたのは、さすがアメリカチーム。

          30年がかりって、長すぎるけどアッと言う間で。。。

          7年前のリハビリ〜言語編 (above かon か over か)

          7年前のちょうど今頃だった、母がリハビリ病院に移ったのは。あの年の9月の頭に、実家の近くで大きな竜巻が発生。周辺で大きな被害が出た。家は無事だったが、母は買い物に行った先のスーパーで空が真っ暗になるのを見た、停電に遭った、と興奮していた。竜巻だなんて、よほど気圧が不安定だったのか、と考えると因果関係がありそうに思ってしまう。本人は庭木の剪定を頑張りすぎたせいだ、と言っていたが、最初の脳出血で倒れたのは、竜巻から数日後だったから。頭痛に吐き気という症状が出た時に、たまたま約

          7年前のリハビリ〜言語編 (above かon か over か)