7年前のリハビリ〜言語編 (above かon か over か)


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7年前のちょうど今頃だった、母がリハビリ病院に移ったのは。あの年の9月の頭に、実家の近くで大きな竜巻が発生。周辺で大きな被害が出た。家は無事だったが、母は買い物に行った先のスーパーで空が真っ暗になるのを見た、停電に遭った、と興奮していた。竜巻だなんて、よほど気圧が不安定だったのか、と考えると因果関係がありそうに思ってしまう。本人は庭木の剪定を頑張りすぎたせいだ、と言っていたが、最初の脳出血で倒れたのは、竜巻から数日後だったから。頭痛に吐き気という症状が出た時に、たまたま約束していた母の友人が訪ねてくれて救急車を呼び、病院まで付き添ってくれた。一分一秒の差が大きな違いを生む病。それは不幸中の大きな幸いだった。

集中治療室で体が動かない、呂律の回らない母を見舞い、母のいない実家に帰り、あぁ、親と話せなくなる、いなくなるってこういうことなのか、と、思った。ある意味、あれは予行練習だった。

脳溢血の場合、手術もしくは入院から数えて決まった日数でリハビリ転院しなければならない。母は手術はしなかった。規定通りに転院して新しい病院でリハビリに励むようになったのが、ちょうどこんな、小さな秋が見つかる頃だった。

当時の私の家からだと、経路にもよるが少なくとも2つ、もしくは3つ県境をまたいでたどり着く各駅停車しか停まらない小さな最寄り駅。そこから歩いて20分ぐらい。周りは畑。環境良好、即ち不便。リハビリの病院って、そういう立地が多いように思う。往復で電車賃は3千円を超え、あちらかこちらでタクシーを使えば5千円近くかかってしまう。それでも週に2回は通ったのは、母を応援したいのはもちろん、洗濯など弟たちの負担を減らせればという気持ちもあったが、リハビリがとても興味深かったからだ。

リハビリ病院は合宿所のようだ。食事もトイレも、生活の全てがリハビリ。患者は全員が回復を目指す生徒。基本、元気。生き死にの世界ではない。だから雰囲気は明るい。土日祝日も、正月も関係無しに組まれた時間割に沿って各種リハビリが進む。ひと枠20分。それが日に何枠あったか。まさしく全寮制の学校だ。私は病院に到着するとまず洗濯物をコインランドリーに放り込み、母がいる教室に見学に出かけた。患者を励ますという意味で家族の見学は大歓迎という病院。口出しはせず、ひたすら褒める。「すごいね、頑張ってるね」 ありがたいことに、自然とそういう言葉が出てくるような成果が目に見えて上がっていった。後期高齢者の体もまだ、こんなに可能性を秘めているのか、と驚くほどに。

先生方は皆さんお若い。患者は押し並べて老人。入院にあたって「リハビリをちゃんとやります」という主旨の一筆を啓上しているとはいえ、老人相手では学生の部活と違ってやる気にさせるところからして技術だ。若い先生方に相手をしてもらってご満悦な老男女も散見される一方、プライドなのか病なのか威張っていたり怒っていたりという人もいて、こちらは決まって老男だった。母は、けっこう自主的に頑張る方だったと思う。ベッドの上でも手足を動かす自主練していた。

言語聴覚士、という仕事を私はここで初めて知った。母の担当のひとりは外語系の大学で言語の学びを通じてこの仕事に出会ったそうで、言葉を発するための口内の仕組み、みたいなところが通じるのだと教えてくれた。机上のリハビリで地味といえば地味だし、この機能が落ちている自覚が無いらしい母は、体を動かす作業療法や理学療法に比べると必要性を感じていなかったようだが、見学している私にはこれが一番興味深かった。絵が描かれたカードを次々と見せて名称を言う。読み上げた名称の絵を指し示す。3つ見せた絵を記憶する。などなど。隣で自分もやってみると意外に難しい。

真ん中に家の絵が描いてあって、その周りに矢印が上下左右を指し示す。そんな紙をテーブルに広げて、車、人…みたいなカードが用意される。「車を家の左に置いてください」空間認識的なやつだ。右、下、と順調に進む。そして「家の上に置いてください」となった時、母がウーンと悩んでしまった。あげく、車のカードを家の上に重ねた。そうきたか! 間違いじゃないぞ。しかし正解はもちろん矢印が示すところの上、なので先生は「その上ではなくて…」と促す。すると母は「じゃあ、こうかな」と今度はカードを持って家の上に浮かせた。おおおおっ。3次元だ。むしろ高度なのではないか。だが正解ではない。ここで言う「上」の意味を母に理解させようと試みる先生。わかったようでわからない母。左と右と下、はちゃんと矢印に沿うのだが上だけ解釈が異なるらしい。思わず笑ってしまう。先生も笑う。母も笑う。

笑える、というのは本当に素晴らしい。このリハビリ入院で最も母を見直したのはそこだ。この状況にあって自分を笑える。怒るジジイより笑うババアの方が強い。

20分の枠には自室との行き来も含まれる。そしてそれもリハビリだ。迎えに行って送り返して、無事にベッドに戻すところまでが先生の仕事。当初、母の移動はまだ車椅子だった。

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