2021年3月21日 ウォーキン in 夢の島

りんかい線新木場駅といえば、海側のスタジオコーストで開かれるコンサートには仕事でもお客さんでも何度も通っていたけれど、駅を挟んで反対側があの有名な「夢の島」だということは、コロナ禍ウォーキンに伴って地図をよく眺めるようになって初めて認識した。あの有名な、が通じる世代も私ぐらいまでかしら。夢の島といえばゴミの島。東京で溢れたゴミで埋め立てた島。積み上がるゴミをならす重機、その周辺に飛び交う虫、それが風に乗って対岸に押し寄せ…みたいな絵柄が記憶にあるんだけれど、遡れば戦前に飛行場用地として始まった埋め立て事業が高度成長期に目的をゴミ処理場に変えて1967年に完了したという、今は昔の話なのだった。

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Wikipedia によると、海抜0メートル地帯が多い江東区の中では最高度の海抜5メートルから10メートルに位置するんだって。そして夢の島はほぼ全域が公園。

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3月のことなので、この辺りも絶賛オリパラ準備中。地図上では歩けるはずだったエリアに工事のフェンスが張られて通せんぼだった。やむを得ず方向転換したところ、これが功を奏していい感じの水辺が見えてきた。青空に映えて桜がうつくしい。今年は開花が早かったよね、そういえば。

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足元で呼んでいる気がしたタンポポを写真に撮っていて、ふと目を上げたら、向こうに不思議な形の建物が。トイレかな、寄っておこうかな。長いウォーキンにおいては、水分の補給と排出は「できる時にしておく」が中高年の無事の要。ふらっと近づいてみたら、なんと、ソレはコレだった。

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ビキニ環礁、水爆実験、被曝。幾つかキーワードは頭に浮かぶけど、ストーリーとして把握はできていない。そんなものがドッカーンと目の前に現れて、咲き誇る桜も俄に影を帯びたような。開館していたのでオズオズと中へ。人の気配が無い。無料にして無人。見学していいのかな…。

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おっきい。

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とはいえ、これは木造のマグロ漁船。これでビキニ環礁まで出て行ってマグロを釣って帰ってくる、と考えたらちっとも大きくない。何かあれば文字通り木っ端微塵だろう。船の片側に設けられた階段を伝って甲板の様子などを伺い見るだけで私などは船酔いしそうだ。

で、ビキニ環礁ってどこよ?と今さら確認すれば太平洋のど真ん中。周りには何も無い。だから水爆実験地にされたんだろうけど、何も無いったって、そこには海の生き物がいっぱいいて、それを狙う海鳥も人間もいたわけで。実際、1954年のその日は、周辺に千隻以上の船がいたんだって。だけど誰も何も知らされておらず、何が起こったのかわからない、だから怖がりようも、用心のしようもない。この狭い空間で、どんなパニックが起きたのか。

気がつくと、なんだか足音がする。見ると、低学年ぐらいの小学生男子がひとりで歩き回っていた。映像展示などを熱心に見ている。他は物音ひとつしない。

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密集のしようもないわけだが…

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私のウォーキン靴は足音をたてない、けれど重たい身体で足場がギシギシ軋む。その音で気づいたのか、下の部屋から顔を出したスタッフの女性に会釈。さっきの少年が彼女に駆け寄っていく。「あら、今日は学校休み?」どうやら常連だ。少年の答は聞こえなかったが、何やら話し込んでいる。休みにしろ休みじゃないにしろ、彼はここに居場所を見出しているのだな。

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外に出ると一気に春だ。マスクを外して深呼吸。桜がまた明るく見えた。陽光を浴びて親子がピクニックしていたりする。その姿を見下ろす位置に真っ黒な姿で横たわるのは第五福龍丸のエンジン。これ自体が戦艦のような佇まいだ。

第五福龍丸は被曝の後、放射線を除去の上、海に沈めて廃船しろとアメリカに要求されたものを日本が保存を主張して買い取り(なんで金を出さにゃならんのだ?)、諸々の処理を経た後に水産大学の実習船「はやぶさ丸」として数年間用いられ、67年に廃船。そして夢の島の海岸に打ち捨てられていたんだそうだ。それを有志が買い戻し(再びの買い戻し!)、今の展示に至る、と。そしてこの展示場も2019年4月に改装なったところなんだそうで、どうりで周辺の敷地を含めとてもきれいに整っている。船もようやく安心できたのか、むしろ海で終わりたかったのか…。

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この日の私のウォーキンは、ここから北上を続けて、コロナ禍で閉鎖中だった新設のバーベキュー広場を抜け、橋をいくつも渡って東陽町の駅をゴールとした。

そして半年以上を経た昨夜、2021年10月2日の夜、たまたま観ていたEテレでこの展示室と再会した。

驚いたことに、このドキュメンタリーの主役、大石又七さんが亡くなったのは3月7日。私が展示室に吸い込まれたあの日の2週間前だ。頭上の桜よりも目をひいた足元の一輪のタンポポ。あれは、あそこにこんな大事なものがあることも知らずにノホホンと歩いていた私への、大石さんからのお導きだったのかもしれない。それと、少年と語り合っていたスタッフの女性は、もしかしたら大石さんの生前から活動を共にして今はその意思を継いでいる学芸員の方だったかも。その方が見学者の前で瓶詰めの「白い灰」を手に説明している場面で番組は終わった。

あんな展示物があったんだ。見逃していた。甲板に残った「白い灰」。どうやって収集したんだろう。その行為もまた危険を伴ったのでは?

何の下調べもせずに、地図のこの緑のところへ行ってみよう…みたいなノリで始まる私のウォーキン。予め知っていれば見逃しも無いし、もっと楽しかったり学べたりするのは間違いない。でも、知らないものと偶然出会い、ざわめいて後から調べると更にざわめきが高まることもある。


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