じぃちゃんとカメラ(時々ばぁちゃん)
私が生まれた病院に、じいちゃんは入院していた。ガンだった。
私が生まれたその日から、じいちゃんは毎日のように私のことを見に来ていたそうだ。
点滴スタンドをキコキコ引きずって、
私の顔を覗き込み、
満面の笑みを浮かべ、
長いこと見つめてくれて居たらしい。
初孫だった。
自分の死期が近いことを感じながら見つめる孫の顔は、
じいちゃんにどう映っていたのだろう。
じいちゃんはそこに、何を見ていたのだろう。
若い女性ばかりの産婦人科病棟に、病衣を着て点滴スタンド引きずったどう見ても入院中の老人(男)が迷い込んでいる様は若干滑稽にすら思えるが、
じいちゃんはいたって真面目だったし、
文字通り命を削る思いだったのだろう。
今まさに生を受け、未来に進んでいく私と、
死を眼前に控え、終わりに向かっていくじいちゃんと。
…
私が生まれて4か月後、じいちゃんはこの世を去った。
「じいちゃんはあんたのこと、大好きで、いっつも名前を呼んどったんよ」
この私の名前は、じいちゃんの名前をもらっている。
一文字丸々、ではなく、一部首だけ、もらっている。
読み方も、文字も、ニュアンスも全然違うけど、
じいちゃんから送ってもらえたということが誇らしい。
一部首という慎ましさも、押しつけがましくなくていい。
じいちゃんのことはほとんど知らないけど、
きっと私の中で今も生きている。
そして名前を書くたびに、ふとした時に考える。
じいちゃんは、どんな人だったんだろう。
時は流れ、じいちゃんが亡くなってから幾数年後。
法事でばあちゃんの家に行った時の話。
ばあちゃんの家には押入れの横、壁に埋め込まれる形で観音開きの仏壇があって、そこにじいちゃんがいる。ばあちゃんの家に行ったら、一番にじいちゃんに挨拶する。
法事も終わって、多くはない親族で夕食を食べる。
奥から立派な一升瓶を持ち出して「これが飲みやすいんよ」とけろっとした顔で飲み続けるばあちゃんをみんなが止めだした頃。
ふとばあちゃんが
「あんた、カメラいらんね?」
と聞いてくる。
当時から趣味で一眼レフをなんとなく撮っていたことを、母がばあちゃんに言っていたようで、
「あんたも撮りよるって聞いてね、ほしたら、これどうやろかねって思ってね。だいぶ古いけど」
と取り出したのがこれ。
幾分カビ臭くって、重くてごつい。
専用の皮のケースに入っていて、ストラップの裏側には…これはじいちゃんの筆跡だろうか、名前とご丁寧に住所まで書いてある。写真で見たじいちゃんのイメージにぴったりの、芯のある綺麗な字だった。
「じいちゃんもカメラ好きやったんよ。いっつもカメラ持っとったんよ」
と語るばあちゃんは、どこか懐かしそうだった。
母は「そうやったねー」としみじみと言いつつ、その横でおいちゃん(叔父さん)は「そうやったっけ?覚えとらんなぁー」とぼんやりしている。
それでもみんな、なんとなくじいちゃんのカメラを中心にそこにいる。
じいちゃんはカメラが好きだったんだ。
じいちゃんの初めて知る側面に、まるで久しく会っていなかった人と顔を合わせた時に覚える懐かしさとこそばゆさを感じてみたり。
そして驚いたのは、ちょうど自分がフィルムカメラを探していたこと、狂ったようにネットや店舗に出向いていたこと、貧乏学生には少々お高いものばかりで溜息をつき続けていた。
まさにその時期に、このカメラが手元に来たのだった。
やっぱりじいちゃんは私の中で生きているのかもしれない。
この話には、もう一つおまけがある。
「私ももう撮らんけ、これも持っていきー」
とばあちゃんから渡されたのがこのフィルムカメラだった。
なんか、夫婦ってすごいなって。
それが最初の感想だった。
2人は知っていたのだろうか。
この先、この2つのカメラを作った会社たちは、名前を揃えて1つの会社になるのだということを。
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