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何者でもない私の読書日記

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何者てもない私が読んだ本たち。
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#日記

【河鍋暁斎】星落ちて、なお(澤田瞳子/文藝春秋)―読書感想【河鍋暁翠】

【河鍋暁斎】星落ちて、なお(澤田瞳子/文藝春秋)―読書感想【河鍋暁翠】

第165回直木賞受賞作。

あらすじ

河鍋暁斎の娘、とよ(暁翠)の物語。
父であり師であり、偉大な絵師だった河鍋暁斎の葬儀の夜から物語は始まる。とよには姉、兄、弟、妹がいるが、姉は河鍋の家と関わりを持とうとしない。兄は喪主は務めたものの、後始末もせずに家に帰ってしまう。
他家に養子に出された弟はへらへらとだらしがなく、妹は病弱。
河鍋の家の諸々を引き受けながら、妹と細々と暮らすとよ。しかし五歳か

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【興福寺】龍華記(澤田瞳子/KADOKAWA)―読書感想【焼き討ち】

【興福寺】龍華記(澤田瞳子/KADOKAWA)―読書感想【焼き討ち】

まずは推しの末っ子を主人公にして小説を書いて下さってありがとうございます、と澤田瞳子先生に申し上げたい。

本作の主人公となっている範長は、父親の藤原頼長が保元の乱で負けた後、兄たちと同様に流罪となり、奈良に戻ることなく亡くなったとされている。没年も不明。

そんな範長で、いや範長だからこそ、このような作品の主人公となり得たのかもしれない。

あらすじ

興福寺のトップとなるべく入ったのに、父親の

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【読書日記】「最悪の将軍」(朝井まかて/集英社)

【読書日記】「最悪の将軍」(朝井まかて/集英社)

五代将軍綱吉の物語。全八章。

綱吉が次期将軍に選ばれるところから始まり、綱吉視点と正室信子視点が交互に入れ替わりながら、綱吉の生涯を描いている。

大河ドラマや時代劇などではちょっとエキセントリックに描かれていたりして、そんなイメージが染み付いていたけれど、この綱吉さんは実直で思慮深い!
正室の信子も、とても賢くて陰ながら綱吉を支えます。

悪い人たちじゃないのに、ではなぜ「最悪の将軍」となって

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【読書日記】ひんやりした千早世界

【読書日記】ひんやりした千早世界

「透明な夜の香り」今読んでいるのは「透明な夜の香り」。

心にいろいろ抱えた主人公若宮一香はスーパーの掲示板で見つけた求人に応募する。雇い主は調香師の小川朔だった。

本書は全部で12章あり、5章まで読み終わっている。
主人公を雇っている小川朔は調香師の仕事をしているのだけれど、とにかく臭覚が超人的である。
生活に支障をきたすレベルなので、主人公が採用されたとき、ボディソープや洗髪関係、化粧水など

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【読書記録】「勘三郎の死」中村哲郎

【読書記録】「勘三郎の死」中村哲郎

勘三郎と私ここ一週間ほど、「勘三郎の死」という本を読んでいた。
中村勘三郎丈は、私にとっては特別な役者さんである。
中学生の時に大河ドラマ「武田信玄」で白塗りで貴族風の今川義元を演じていたのを見てファンになり、母親から歌舞伎役者だよと教えられ、歌舞伎座へ行った。

初めて行った歌舞伎座は赤色メインの綺羅びやかな空間で、ざわざわとした何とも言えない高揚感やワクワク感は今も覚えている。
いくつか演目は

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「大人のための読書の全技術」を読みました

「大人のための読書の全技術」を読みました

大人のための読書の全技術
齋藤孝
KADOKAWA
2014/7/31
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noteを書き始めて感じたこと。それは、知識が無い、読書量が足りない、だった。
知識とは、何か特定の何かが足りないというものではなく、全方位的にいろいろなものを知らない。しかし、もし何かひとつ挙げるとするならば、言葉の知識が足りない。外国語ではなく、母国語である日本語の知識が足りない。
ここで文章で自分の体験

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「江戸前 通の歳時記」を読みました

「江戸前 通の歳時記」を読みました

何か面白い本はあるかとhontoを覗いていたらこの本が目に留まった。
説明文を読んでみると「小鍋立」「常夜鍋」といったワードがあり、購入を決めた。
ネットがmixi全盛期だった頃、友達登録していた歌舞伎好きでちょっと小金持ちでいわゆる通だったおじいさんがよく「今宵は小鍋立で一杯やる」とか書いていたのを思い出したのだ。

江戸前 通の歳時記
集英社文庫
池波正太郎
2017.3.17

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「戦艦武蔵ノート」を読みました

小説「戦艦武蔵」を読む前に、その取材日誌の本があると知り、こちらを先に読もうと手に取った。
戦艦武蔵ノート
岩波現代文庫
吉村昭
2010.8.20

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この本は、吉村昭が「戦艦武蔵」を執筆する際にその建造に携わった人や乗組員、建造された造船所のあった長崎の市民などから聞き取り調査をした記録である。

取材は昭和40年頃に行われた。終戦から20年という時期なので、現在とは違い戦争中既に

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