「戦艦武蔵ノート」を読みました

小説「戦艦武蔵」を読む前に、その取材日誌の本があると知り、こちらを先に読もうと手に取った。
戦艦武蔵ノート
岩波現代文庫
吉村昭
2010.8.20

※※※※※

この本は、吉村昭が「戦艦武蔵」を執筆する際にその建造に携わった人や乗組員、建造された造船所のあった長崎の市民などから聞き取り調査をした記録である。

取材は昭和40年頃に行われた。終戦から20年という時期なので、現在とは違い戦争中既に大人でそれなりの年齢や地位に就いていた人がまだ健在だった。

そのため、戦艦武蔵の建造や沈没時の様子はもちろんのこと、戦争中10代の少年だった作者自身の当時の記憶や戦争に対する思いが記されている。

私は、戦艦武蔵の建造の過程や進水、沈没時の様子も然ることながら、戦争中における庶民の中に漂っていた空気や、戦中戦後の新聞やラジオ等の報道のギャップ、そしてなぜ戦争に突入したのか、なぜ敗色濃厚なのにすぐ終わらせなかったのか、などを作者自身が分析しているところが興味深かった。

私と同じ年代のものが(私は昭和二年生まれ)、今まで戦争について口をひらかない意味を、私はよく理解することができる。一言にして言えば、戦時中の私たちは、決して戦争を罪悪とは思わなかったし、むしろ、戦争を喜々として見物していた記憶しかない。
私なども戦時中、あの異常な時期を決して異常なものとは思わなかった。生れついてすぐから、××事変と称する戦争が相ついで発生していたし、いわば、戦争は、極めて日常的な変哲もないものであった。そうした私にとって、戦争が人類最大の罪悪などという意識はまったくといっていいほどなかった。私は、完全に戦時という季節の中に埋没しきっていた。
日本軍首脳者は、アメリカの思惑通りハル・ノートに憤慨して戦争を決意した。しかし、軍首脳者がその決意をするに至ったのは、明治以後というよりはそれ以前からこの島国に芽生えそして根強く根をはった庶民感情がその基盤になっていたと言っていい。

このような見解は今はなかなか聞けないと思う。もしも作者が現在のご存命だったとしても、戦後20年の時点と戦後73年の時点ではもしからしたら変化があるかもしれない。戦後20年という時期で、作者や取材に答えた人々もその年齢だったから言えた本音だったのではないかと私は思った。

戦艦武蔵についての事もそうだが、これらの戦争についての考え方の部分を読むだけでも、当時の日本がなぜ戦争の道を歩んだのか考える糸口が掴めるのではないかと思う。

これらを踏まえて「戦艦武蔵」を読んでみることにする。

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