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田山花袋「蒲団」1-3

 1-1では、1人称のような3人称という視点について、1-2では男女別に参加者の印象について述べてきました。今回は、作品から見える田山花袋の作家像、当時の文学界の雰囲気について、参加者の意見を中心にまとめていきます。

<痴情?痴態?作品、谷崎「痴人の愛」との比較>

 宗像市からリモートで参加のSさん(女性)は、『蒲団』を読んだのは学生の時以来2度目とのこと。「(最初に読んだ)学生のころは、ただ情けない感じだなあと思っただけ」だったそうですが、「(今回読み返してみて、)面白い、笑えると思った」といいます。
 「(前回の『痴人の愛』と)比べると、谷崎の老獪さ、作為的なところがすごいなと思うのに対して、こちらはかなりストレートに書いているという印象」と、その違いが目立った様子。
 「気になった点は、時雄のキャラクターがロマンチストだというところ」だといい、「すごくセンシティブで、恋する青年のよう」であり、「社会的地位のある人がそういう痴態を演じるというのが、当時の人たちにとっては衝撃的だったのでは」と推測します。その上で、30代にして、自分はもう時代遅れだという認識を持った小説家のストーリーが、衝撃的な新しい小説として受け入れられたのは面白い」という興味深い指摘。確かにこれは、逆説的で面白い指摘ですね。

<作中に登場するいろいろな小説>

 またSさんは、小説の中にいろんな作品が出てくることにも注目しています。「ツルゲーネフとか、モーパッサンとか、ゲーテとか、芳子にツルゲーネフ全集をかわせるとか。芳子の本棚には、紅葉全集とツルゲーネフ全集が並んでいる。紅葉は当時の流行作家だが、他の作家は流行作家だったのか、それとももう遅れていた作家だったのか」、つまり当時の読者にとってどのような位置づけの作家だったのか、そのあたりが気になるといいます。

 そこは確かに微妙なところで、しかもそれらの作品が小説のストーリーとからめながら出てくるので、現代の前衛小説の手法のように洗練されている感じではないが、Sさんが言われるように、やはり気になりますよね。
 たとえばモーパッサンは自然主義の作家が手本とした小説家ですし、イプセンなんかも含めて、当時けっこう新しい印象というか、少なくとも他の出てくる外国文学の作家も遅れているという印象ではなかったのではないかと思います。
 ただ、一つ一つの作品があまり説明なく出てくるので、当時の読者がどれくらい知っていることを前提としているのかはわかりません。新潮文庫と岩波文庫の註を読み比べてみると、新潮文庫のほうが若干、出てくる外国文学の作品の内容を詳しく説明しているので、参照すると、読みのヒントになることもあるかもしれません。
 いずれにしても、それほど長くもない作品の中に、これほど多くの文学作品が盛り込まれているというのは、悪くとればペダンティックともいえますが、物語の展開とのからみで考えていくと、面白くもあると思いますし、どこまで花袋が方法的に意識していたかはわかりませんが、確かに気になるところですね。

 事務局のKYさん(女性)は、『蒲団』は学生の時に1回だけ読んだそうで、その時は文学史上の代表的な作品として読んだだけで、今回が2回目とのことですが、先ほどSさんが提出した問題について、「先ほどの作中にいろんな作品が出てくるというのは、箔をつけるために出したのかなという感じがする」といいます。そして、「ツルゲーネフだとか、モーパッサンだとかと肩を並べて、おれはこれくらい書けるんだよという、自作自演のドラマみたいで面白かった」と。

確かに方法として、これらの作品を読者に思い起こさせたいのだとしたら、もう少し親切に、小説の筋などを思い起こせるように書いてほしい気がします。

 それに答えてKYさんは、「田山花袋が想定している読者とは、ある程度そうした文学的教養のある読者を思い描いていたのでは」といい、「ヨーロッパの一流作家と肩を並べて体当たりの演技をしてみせたという自負があったんじゃないか」との指摘

 なるほど。そういうのはあるかもしれません。田山花袋は、この当時の作家としてはあまり学歴が高くない。もちろん外国文学を含めて文学修業はしっかりしていますし、高い教養も身につけてはいますが、学歴の高い作家が多かった中で、小学校しか出ていない。だから、自分は遅れてないぞという面を見せたいという気持ちは人一倍強かったんじゃないのかなという気がします。
 先ほども言ったように、この小説の長さからすると、異様なくらい作家の名前が出てくるし、しかも、あまり親切な書き方ではない。KYさんが言われていた、そういう肩を並べるぞという意気込みが、空回りしているようでもありますね。

<まとめ>

 ・作品発表の当時、社会的に地位のある人が痴態を演じる。

 ・短編作品の中に、当時新しい、あるいは決して遅れていない、ほかの作品を散りばめる。

 この2点だけでも、田山花袋という作家が当時、大変意欲的であり、挑戦を試みた作家であると言えそうです。その心意気は「1人称のような3人称という視点」という手法とも無関係ではないはず。次回は、今回を含め、これまで述べてきたこととの関連性を掘り下げながら、「蒲団」の深層に迫っていきます。


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