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つながり過ぎないでいい。


「つながり過ぎ」て苦しくないですか。

「つながり過ぎたくない」
のわたしは、
「つながりたさ過ぎる人々」
が承認欲求に振り回されているように映る。

自己承認ではなく他者承認。
他者から認められたい欲求。
評価を気にした行動をとりがち、
アピールをし過ぎ、評価に振り回される。

自分で自分を認められず、
またはそれじゃ足りずにか、
他者に認めてもらうための行動を日々。
会社、プライベート、sns、
褒められたって好きって言われたって
相手の日替わりな感情ってもんよ。

他者承認=依存になりはしないか、
他者承認=好きの数と思ってないか、

他者から認められれば
確かにモチベーションを高く維持できるし
成果も出やすいという人もいる。
(意識し過ぎプレッシャーになるから
逆効果なひとはわたし。)
他者承認という強いエネルギーは
すべての原動力になることもある。


だけどそれ、失ったら?
その途端に意欲を失くし、褒めてもらえることが
物事の目的であったことに気付く。


「褒められてこそつながる」
これは厄介なものである。


ただ、それが本当に尊敬している人や
好きな人だけに求めるものなら分からなくもない。
というのも、他者承認少なめのわたしだから、
分かることはそれくらい。


だってほらあいつらってなんせ日替わりなのよ。
月曜日ハンバーグ、火曜日ブタの生姜焼き...
曜日と気分で相手を代えながら褒めてくるだけ。
鵜呑みにせず、「あざーす!」くらいに止めるのがベストかも。いちいちキュンキュンすなってこと。
後で落とされる。(経験者は語る)


可愛い。
なんて誰にでも使えるコスパよい言葉だからね。
(そんな記事書いてたような)
可愛い。の想い方、
向け方の違いはそれぞれだとしても
自分で自分を可愛がること、それが自己承認。


だけれど..だけれど..やっぱり..
気になる人や好きな人には
『可愛い人と呼ばれたい..』っていう承認が
頭をよぎる。

承認欲求って厄介で強いエネルギーだ。


「かわいいつながり」に止めとくなら
お菓子をたまに交換こするくらいの
「つながり過ぎない」距離感で、
挨拶を交わすくらいの、
存在承認くらいがかわいいのかな。
(あ、あいついつもバタバタじたばたしてる人でしょ?あ、その存在、わたしです。)





「つながり過ぎた」場所を
頼りに生きている姿を見ると、
それぞれが寄って立つ生き方には
正解がないと思わされる。

少し前になるが、尹雄大(ユン・ウンデ)さんの
『つながり過ぎないでいい 非定型発達の生存戦略』
という本を読んだ。

この本は「正常な」発達をしてこなかった著者が、
この社会とどう係り、自身とは何なのか、
言葉にし辛い部分、生きづらさを文章というかたちに落とし込んだ本。


どのように、どこまで行ってもわかりあえない他者と、どうつながればよいのかを考えてみるきっかけになりました。でも、上の方でわたしが書いたことなどは一切書いてませんでした。悪しからず。

あいつら日替わりで褒めてつながってくるから注意しろよ、とはね、書いてはいませんでした。


ユンさんは、確か、
安易に「わかった気」にならないことだと、
「自分の中のわずかな違い、違和感という名の他者を受け入れること」から始めることだと言っていたような気がします。(推測になってしまいこめんなさい)
自分の中にすら他者性があることを理解することができるなら、「つながりのないように見える他者」との間にも関係性が生まれて、それが生きることの強さになっていくのだと。

分かり合えないことに焦れずに、
それが当たり前と受け止めたうえで、
適度な距離を保つことを忘れないようにすること。
完全に分かり合うことはできない他者との、
適度なつながり方に触れさせてくれました。


「SNS疲れ」=「誰かに認めてもらいたい」
という依存に近い欲望が一方通行になっているのを見たことがある。すれ違いの欲望が満たされず、疲れてしまう。それは、承認欲求の副産物だ。
心から満たされたいなら、
今自分を満たしてくれているもの、一度手放してみるのもいいのかもしれない。



『つながり過ぎないでいい』
もう一度手にしてみようかなと思った。



本日の土曜日、日替わりランチなどなく、
何十年ぶりかにラザニアなど食べながら、書いてみました。外は雨。穏やかな気持ちで皆が過ごせたらいいなと...そんな気もするしそんな気もしないし..。
雨とつながれば雨もまた良い日だ。







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