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元ぎゃるお先生,現る~第9話~

みなさんごきげんよう,ベルですっ(嘘)

趣旨実感本がついに発売されました(↓なんで5225円になってるんだろう。2090円です。)。

購入された方はぜひとも自己分析及び今後の指針として使っていただきたいと思います。趣旨実感本についてはyoutubeで近日中に動画を出したいと思いますので,そちらもご覧ください。

さて,ギャル男メンタル編も残すところ2回。

メンタル編を読んで「生きやすい環境づくりはマインドからなんだって思いました。」というお声を頂きました。

それが唯一の正解ですとは僕には言えませんが,マインドはただで自分で変えていけるものですからね。何か一つでも読者の皆さんの生き方に対するヒントとなれば幸いです。

それではまいりましょう!

■挨拶とお礼はしっかりする

 挨拶。

 私は挨拶にその人の人となりが表れると思っています。特に思うのが初対面の時です。

 たとえば、仕事でも合コンでも何でもいいのですが、初めて会う人がいるときに、何も挨拶されずに会話に入ってこられたら皆さんどう思いますか。仮に私がその場にいれば、「何だこの人やな感じ」と思うことが多いかと思います。挨拶って、子どものころにちゃんとしなさいって教わったはずなのに、あいさつすらできないのかよ。みたいな。

 他にも、お礼。

 お礼というのは感謝の気持ちを表すことです。お礼ができない人がいますが、はっきり言って、あり得ません。

 例えば、私は講師をやっているので勉強に関する質問を受けることや印刷物等のお願いをされることが多くあります。それに答えた後に、教え子が「ありがとうございました」といわない場合、100%「何か言わないといけないことあるんじゃない」と言ってしまいます。

 「ありがとう」の一言は人間関係を構築する上でとても大きな意味を持つと思います。別に、何かをした側は褒められたいと思って何かをしているわけではないんです。でも、「ありがとう」がない場合は必ずと言っていいほど嫌な気持ちになるはずです。これは言葉で何て表せばいいのかがわかりませんが、お礼があることで関係性が円滑になる。お礼にはそんな魔法が込められているんです。

 だからこそ、挨拶とお礼は絶対ちゃんとするように意識しています。

 自分が不快に思うことは同様に不快に思われる人間がたくさん存在するということ。だからこそ、自分は挨拶とお礼を欠かさずやろう。そんな感じ。

 挨拶とお礼は人間関係を円滑に形成するために必要な当たり前なのに、できない人が多い部分。でも、それは少しの意識と努力でできるようになります。

 挨拶とお礼をするだけなんです。疎かにされていた方がいましたら、ぜひ、今から挨拶とお礼を実践してみてはいかがでしょうか。

 

■嫌いなところより好きなところを探す

 これ、かなり単純な話なのですが、嫌いな部分って目につきやすいですよね。他方、好きな部分ってなかなか見つからない。

 でも、考えてみて下さい。嫌いな部分を見つけた瞬間ってどんな気持ちになりますか。気持ちいいですか。それはタダの変態です。多くの人は、相手の嫌いな部分を見つけた瞬間、その漢字のとおり嫌悪感を抱くのではないでしょうか。

 んで、これも単純な話。嫌悪感を抱いた時の感情ってどんな感情ですか。

 ストレスですよね。

 でも、そうだなあ。誰しも自分とは違う部分を持っているわけですから、嫌いな部分はどうしても目についてしまいますが、私はその人のいい部分=自分が好きな部分を探すべきだと思うんです。

 見つからなければ嫌いで終わるかもしれませんが、本当に光る部分、好きな部分が見つけられれば、嫌いな部分が複数あったとしてもある程度我慢できると思うんですよね。だからこそ、積極的に好きになれる部分をまずは探すべきだと思います。

 話し方がうざいなあ、キザっぽいなあという友達がいるんですが、そいつ後輩思いで熱いんですよ。だからこそ、そういうとこもかわいく見えて許せちゃう。

 人間は多面的です。その一面だけを見て評価するのは基本的には良くないと思います。いろいろな面を見るためにも、まずはその人を好きと思える部分を探してみるのはいかがでしょうか。

 

■目標は周りに言え

 目標を公言するタイプと、内に秘めた目標に向かってコツコツ進んでいくタイプがいると思います。目標を達成さえできればはっきりいってどっちでもいいんですが、私は目標を公言するタイプです。

 なぜか。

 そんなの簡単ですよ。背水の陣になるからです。

 だって、「おれは○○になる」って言って達成できないのって、ダサくないですか。そして、ダサくなるのっていやじゃないですか。

 単純にそれだけです。これって、とてもシンプルですが、とても絶大な効果を持っています。少なくとも、私は「ギャル男弁護士になるわあ」という吹聴によって、自分を鼓舞し続けることができました。

 言ってしまった以上、できないのはダサい。ダサいのは嫌だ。だからやるか。

 行動するのに、目標を達成するのに難しい思考なんて必要ありません。シンプルでいいんです。目標を周りに言ってしまったからもう後戻りはできないというシンプルな出発点でいいんです。

 目標を達成できたか否かが重要なのです。周りに言って自分で自分を追い込んで頑張らせる戦法。いいじゃないですか、背水の陣。

 オオカミ少年みたいにならなければ、それでいいんです。

 シンプルイズベスト! 

 

■責任を持て

 司法試験、予備試験の受験生活が長くなれば長くなるほど、自分だけでつらい思いをしているような感覚に陥ることがあるんですね。

 もちろん、つらい思いをするのは確かです。「何で受からないんだ」「各科目ごとにやれることはやったはずなのに、本番の成績は全然よくなかった。センスがないのかもしれない」「つらい」といった負の感情に悩まされるのは事実だと思います。また、落ちた経験のない方でも、受験生活を送っているにあたって、「いつまでこの受験生活を続ければいいんだろう」「このまま続けられるか不安」といった気持に押しつぶされそうになることがあるのではないでしょうか。これは、仕事にもあてはまるんじゃないでしょうか。

 私自身はというと、2回目の予備試験の短答式試験に落ちた際に思い悩むところはありました。私は退路を断つことによって自分を追い込んで目標を達成する性格なのですが、その断つ際に友人に「俺、絶対弁護士になるから期待しておいてくれよな」みたいなことを言うんですね。

 あえてそう宣言することで、自分を奮い立たせるんです。

 でも、落ちた。

 その時、友人や家族、恩師を裏切ったような気持ちになりました。もちろん、友人や家族は「頑張った結果だから仕方ないよ。よく頑張った。次は絶対合格しよう」といった優しい言葉をかけてくれるんです。でも、その優しい言葉がつらい時ってないですか。優しさがつらい。だって、それは自分が努力しきれていなかった証拠だから。

 予備試験合格後の司法試験に落ちた時もそうです。自分の甘さ、努力不足が招いた結果を周りがリアルに心配して励ましてくれる。その状況こそはさすがの私も自己嫌悪の感情を引き起こしていました。恩師に対しても、目をかけてくれていたのに裏切ってしまったという感情が最初に湧いてきました。

 結局、受験生は友達、家族、恩師に対して「責任」を負いながら受験生活を送っているんです。ガチで目指せば目指すほど周りの期待、支えも大きくなります。

 友達は心から合格を願ってくれ、勉強の合間にラーメンや飲みに誘ってくれて話を聞いてくれる。

 親は予備校のお金であったり、ロースクールの学費であったり、一人暮らしの費用を負担してくれたり、基本書の費用を出してくれたり、実家に戻ったら手作りのご飯を作ってくれたり。

 恩師は、学習面はもちろん、話を聞いてくれたり飲みに行きながらリラックスさせてくれたり。

 これらは私が受験生時代に感じていた「支え」の一コマですが、「支え」は人それぞれ、状況次第なので、これを読んでいる方一人一人が異なる「支え」の下で生活を送っているんだと思います。

 その「支え」に応える「責任」を私は受験生として感じ、重く受け止め、果たす義務があると思った。「感謝を忘れない」という言葉に置き換えられるかもしれません。一人で受験していたわけではないんです。本当に、感謝すべき相手はたくさんいるんだと思います。

 途中で受験を辞める決断をした方も同じです。

 私の周り、教え子には受験をやめてしまった人がいます。でも、やめたからと言ってその「責任」から解放されるわけじゃないと思います。別の形で、別の道で頑張ることでその「責任」を果たすべきだと私は思っています。それでいいし、私であればそうします。

 ここでは受験生活に話を据えました。

 一般化すると、何をするにしても、人は一人で何かを成し遂げるなんてことはほぼほぼないでしょう。一人じゃない。誰かに支えられながら生きているんだと私は思います。それは「支え」でもあり「責任」でもあります。

 その重みを感じつつ、強い気持ちで「成功」を掴みましょう。

 

■夢を探す、持つ、かなえる

 「夢」と聞くと「サッカー選手になる」「社長になる」「雀鬼になる」「かっこいい旦那を見つけて幸せなお嫁さんになる」等々、小さい頃にたくさんの具体的な夢を毎日抱いていた方はたくさんいるのではないでしょうか。

 少なくとも、私はずっと「夢」を持っていました。

 冒頭でお話しした通り、私は幼稚園のころからサッカーを習っていたのですが、とにかくサッカー選手になりたかった。小学校1年生から小学校4年生まで親の仕事でイギリスに住んでいたのですが、その時も日本人のコーチ、プレイヤーがいるサッカーチームに所属して練習を欠かさず行っていましたし、週1で外国人ばかりのサッカーの練習会にも参加するほど、サッカーが好きでした。

 高校もサッカーが強いところでないと嫌だったので、志望校の決定に当たってサッカーが強いという条件は外せなかったですし、高校の部活をしている最中に監督から遠征でブラジルに行けるという話を聞いた時は、相当お金がかかることを知りながら、親に懇願して遠征に参加させていただいたことを覚えています。

 まあ、結局高校3年生あたりで[U1] 退部してサッカー選手の「夢」は諦めてしまうのですが。

 でも、サッカー選手になりたいという「夢」は私の日々を色鮮やかにしてくれました。

 サッカー選手になれる人間って、ほんの一握りですよね。

 日本のサッカー人口がどれくらいいるのか私は知りませんけど、司法試験の合格率や予備試験の合格率よりサッカー選手になれる可能性ははるかに低いわけです。でも、その「夢」さえあれば、実現可能性がどんなに低くとも頑張れる自分がいるのも確かだと思います。

 ですから、「夢」を持つって、生きるための原動力としてとっても大事なんだと私は位置付けています。

 ドラマ「ルーキーズ」の川藤幸一先生も言ってたじゃないですか。

 「夢にときめけ。明日にきらめけ」

 「人間として最も大切なこと。夢を持ち、夢を貫くことの大切さを忘れないこと」

 「志の大きさはその人間の大きさだ」

 私はこれらの言葉に胸を打たれました。だから、昔も今もこれからも「夢」を持ち続けて、「夢」を語って、自分と接した人に「夢」を持って頑張ってもらえるような人になりたいと思っています。それだけ、「夢」を持つことが与えてくれるパワーは大きいんだと思います。

 そして、ここから少しだけ司法試験受験生に向けて。

 みなさんには司法試験に受かったその先を具体的に考えてみてほしいと思っています。

 というのも、とりあえず法曹になると思っているだけでも、まあ、いいっちゃいいんですが、司法試験に受かったら、基本的には司法修習を経て決定した進路に進むというルートで進んでいくわけですよね。

 でも、なんとなく法曹になりたいと考えている人と、自分は法曹三者のいずれになりたいのか、なぜその進路を進みたいのか、その進路に進んだとして自分のキャリアアップには何が必要なのかといったことを考えられる範囲でいいので受験生活中に考えたり先輩の話を聞いたりして具体的なイメージを持っている人では、合格後の初動が違うのかなあと思っています。

 よく、弁護士志望の受験生の中には、一般民事がやりたいという抽象的な願望を抱いている方がいます。でも、ネットで調べてみてください。一般民事といっても、建築紛争、金銭貸借、交通事故、医療事故、不動産取引等様々な事件があります。そして、事務所によって力を入れている分野は変わってきます。

 このように、具体的に考えれば考えるほど自分が将来何をしたいかが鮮明となっていき、「夢」が具体的になればなるほど今の自分がなすべきことが明確になり、頑張れるんだと思います。

 ほかにも、司法試験に合格したからといって必ずしも法曹にならなければならないというわけではありません。私自身、法曹にならずに司法試験予備校の専任講師という道を選択しました。私がなぜ司法試験予備校の専任講師を選択したのかについては他の部分で具体的に書かせていただきますが、司法試験予備校の講師になった今でも、飲食店の経営、お昼のニュース番組のコメンテーター、美容部員、アパレル関係、弁護士、アニメ産業にかかわる仕事というようにたくさん実現させたい「夢」を持っています。あと、私の趣味の一つにアニメ鑑賞があるのですが、そのアニメに出てきたキャラの絵を描くのが大好きで、絵を描いている時ってすごい幸せなんですね。ですから、趣味でアニメのイラストの描き方やアニメーションを学んだりしたいなとも考えていて、私的にはこれも立派な「夢」だと思っています。

 いろいろと書いてきましたが、「夢」を持つって楽しくないですか。

 私は「夢」について語って、それに向かって努力して、そして叶えた「夢」を実現している瞬間が一番楽しいです。ですから、今とっても楽しいです。司法試験予備校講師という「夢」を叶え、その「夢」を実現しているんですから、楽しくないわけがないでしょう。

 この世の中には「夢」を抱くには十分すぎるきっかけがあふれています。そのきっかけに気づき、「夢」を持ち、頑張れるかは自分次第なんです。そして、その「夢」を持てれば頑張れることもまた事実だと思います。

 私にとって、司法試験は人生鮮やかにするための一つの手段に過ぎません。その手段を達成することで叶えられる「夢」は無限大に広がっているんです。

 司法試験の受験を始め、人生になんか疲れちゃった方、もっとやる気を出したい方、猛烈に燃えたい方、ぜひ「夢」を探すところからスタートしましょう。そして、「夢」を持ちましょう。具体的な「夢」を描いてください。さらには、「夢」を持つだけではなく、叶えるべく、日々を頑張っていきましょう。

 

■周りのせいにせず、自分を高める

 中学受験、高校受験、大学受験、予備試験、司法試験、はたまた、社会生活をしていれば生じる何らかの試練。生きていく上で、チャレンジは無限に存在し、常に私たちはチャレンジしながら生きています。

 でも、そんな時、それらのチャレンジにおける最大の敵は誰か。そんなこと、考えてみたことはありますか。

 例えば、司法試験の勉強における一番の敵は一体誰なのでしょうか。私が司法試験予備校の講師を始めるだいぶ前から、いや、勉強を始めたときから、自分が勉強できない、学力が向上しないことを、「環境」のせいにする人がいました。

 確かに、環境は大切です。都市部と地方では勉強している人間の母数に違いがありますから、勉強仲間や予備校のイベントへの参加の可否など様々な格差が存在していることは間違いないでしょう。

 でも、自分ができないのを環境のせいにするってのは本当にそれでいいのでしょうか。初めから格差のある環境下で勉強しているというのであれば、その格差を埋める努力をすればいいのではないでしょうか。

 勉強仲間ができないのであれば、今ではオンラインでゼミを行ったり情報共有できたりするシステムが各予備校によって構築されつつありますし、なんといってもTwitter。

 Twitterで仲間を集めてオンライン自習室を利用してともに自習する。という光景を私はたくさん見ています。てことで、それらを積極的に活用すればいいんです。環境は自分の努力次第である程度変えることはできるんです。

 結局、まあ、ありふれた言葉ですが、最大の敵は自分です。自分の考え方や自分の努力量が自分をダメにもするし、よくもする。自分自身が一番自分を左右してしまうんです。

 だからこそ、昨日の自分に負けない、昨日の自分よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分というメンタルを持つ、自分にできることは何でも試してみることがとても大事になると私は思います。

 私はとても負けず嫌いでポジティブといわれることがよくあります。確かに、自分のことは自分が一番よくわかっているので、生来的にもそのような性格だと感じることがありますが、受験生活中は特に意識的に負けず嫌いかつポジティブな性格が出てくるようにしていました。要は、自分自身を洗脳して麻痺させちゃうってことです。

 例えば、友達と行っていたゼミで全くいい答案が書けない日が割とあったんですね。書いている途中で制限時間が終了したり、自分は割と書けたと思っていたら、友人がむっちゃいい答案を書いてきて相対的に自分の答案が大したことなかったみたいな日です。

 そういう時って、凹んでいる自分も確かにいるんです。

 心の中のリトル石橋に聞いてみると、「はあ、やってしまった。途中答案だし、内容的にもトンチンカンなこと書いちゃったし、やべえくそ萎えるわ」と思っているんですね。でも、そんなときに暗い気持ちで一日を終えたら暗いまま翌日を迎えてしまうじゃないですか。そんな日々が続いたらつらすぎてそれこそ勉強なんかやってらんねえって気持ちになりますよ。

 だからこそ、そんなブルーな気分の時だからこそ、意識的に負けず嫌いかつポジティブな性格が出てくるようにするんですね。「やばい悔しい、絶対次は自主ゼミの仲間があっと驚くような答案を書いてやる」って思いまくることで、めらめらと闘志を燃やしていくんです。

 イメージとしては、ドラゴンボールで孫悟空が超強い敵に挑んで一度ボコボコにされたけど、仲間のこととか自分が修行した日々とかをいろいろ考えて怒りを爆発させたらレベルアップして勝っちゃったみたいな展開を想像してください。

 人は逆境に立たされた時に真価が問われ、そこで燃えることができた者だけが勝利を手にするんだと私は思っています。自分に負けないという意識を強く持ってみてください。その気持ちを高めることで自己洗脳をすることができるレベルまでなれれば、無敵の考え方を手にすることができると思います。その考え方は、あなたの日々の生活における最強の原動力となるでしょう。

 

■「不合格」は恥じゃない

 ちょっと、受験生向けの話をさせてください。

 私は、不合格を経験して不合格の烙印を押されたような気分になりました。家族、友人、恩師に対して申し訳ないという気持ちに加え、本当に自分が情けないという気持ちになりました。こんなにもポジティブ祭り男であるにもかかわらず、自分が嫌いになってしまいそうでした。

 同じ思いを経験し、今でも抱えている方はたくさんいらっしゃると思います。

 それだけ、「不合格」という結果を突き付けられることはつらい経験です。

 でも、「不合格」を恥だと思わないでください。不合格という経験はあなたを強くします。「スラムダンク」でも「『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」という名セリフがあるように、何らかの試験に「不合格」だったという経験は、将来のあなたにとって財産となるんです。私自身、「不合格」を乗り越えるために行った死に物狂いの努力という経験が、大抵のことがあっても乗り切れる。頑張れる。という自信につながり、今の仕事でつらいことがあっても乗り切れています。また、「不合格」経験があったからこそ私は司法試験に合格し、最終的には素晴らしい仲間にも出会えました。ほかにも、「不合格」がもたらしてくれたものはたくさんあります。

 「不合格」だったからこそ、今の楽しい生活があるんです。

 「不合格」という結果に押しつぶされそうな受験生の方々、また落ちるんじゃないかという不安に悩まされている方々。

 安心してください。

 「不合格」という結果に対して死に物狂いで努力した自分がいるはずです。あなたの中のリトルあなたに語り掛けてください。落ちた後、死に物狂いで頑張ったよね? と。そこでうなづけるのであれば、何も怖いことはありません。

 私は司法試験に落ちた後、自分の中では一番努力しました。合理的な勉強方法を突き詰めて、実践しました。圧倒的努力を主観的に行っていました。[U2] その頑張れた自分は「不合格」経験が形作ってくれましたし、その経験が自分を強くしました。

 「不合格」はあなたの味方です。恥ではなく、力強い味方なんです。

 

■やっぱ人よ

 何を食べるかよりも誰と食べるか。

 いくらミシュラン〇星の店に行ったって、おもんない人と行った時には全く記憶に残っておりません。自分で作った失敗作餃子のほうが100倍いい思い出として残っています。他方、楽しい仲いい人なら、一皿300円の居酒屋に行った時の楽しい美味しい思い出が心の中に残っています。

 そういう時って、ただただ喋っているだけで楽しくないですか。無言になるタイミングですらストレスフリーでいられる。

 同じ店に行ったとしても、人が変わるだけでその場の雰囲気、楽しさ、意味はガラッと変わってきます。僕はおもんない人との2回目は基本的に考えません。時間の無駄だから。時間の無駄遣いは自分のためだけにしたいのです。

 この感覚は仕事においても基本的には同じです。私の場合、信頼できる人じゃないと講師業は任せられません。AIにとって代わられるような人は面白くないし、本当にそれで講師務まるのかなあと心配になってしまうので、少なくとも私からはお願いしますとはいえません。情熱がないと個別指導はやっていけないと私は思っています。特に個別指導は教え子とタイマン張るわけですから、自分の情熱がモロに伝わってしまいます。そこは講師側も教わる側も人なので、伝達する。

 合格者であれば、知識がないけど情熱がある人のほうが、情熱がないけど知識がある人よりも個別指導に向いているんじゃないか。指導のうまさは鍛えればなんとかなるんじゃないか。でも、その人のスタンスやマインドは鍛えることはなかなかできないと思います。だって、その部分って、その人のルーツですから。他人にとやかく言われる部分ではないのかもしれません。まあ、だからこそ、合わない人は合わないのですが。

 AIにはできないような仕事をできるのが人だと思います。

 これからはAIだ! みたいな本が書店にはならんでますが、ふざけんなですよ。「テラフォーマーズ」じゃないんだから、地球をAiにのっとられてたまるかってんですわ(ここはターミネーターと言っておくべきでしたかね)。

 結局、私の軸は、仕事だろうがプライベートだろうが人です。利害得失全てを考えた上でも、一緒に何かをやっていく、過ごしていくなら、金でも損得勘定でもなく人で選びます。

 

■「つまらない」か「楽しい」かは自分次第

 「つまらない」と思っている時って、むっちゃ眠くなりますよね。

 私は大学の授業に真面目に出ていたほうではありませんが、それでも出席をとる授業であったり、その回だけは出ないとまずい授業みたいなのってあるじゃないですか。だから、そういう時は仕方なく出席していました。

 でも、まあ、「つまらない」。

 そして、「つまらない」先に待っているのは、「眠い」。

 そして、「眠い」の先に待っているのは、「怒られる」。

 もう、ここまで来てしまったら負の無限ループですよね。いや、寝てるこっちも悪いんですけど、つまらないそっちも悪いわけで……とか大学生の頃は考えていました。

 学校の授業、職場の会議、セミナー、ゼミ、なんでもいいですが、「つまらない」という感情を抱いた時、人は思考停止になってしまいます。私自身、「つまらない」ことは極力やりたくないと思っています。「つまらない」と思ったまま無理して勉強を頑張ってみても、つまらなかったというマイナスの記憶で終わってしまい、全然身につかない。「つまらない」と思っているうちは、むしろ勉強しないほうがいいです。趣味とかに時間を使ったほうが圧倒的に有意義です。

 でも、例えば司法試験受験生の皆さんは司法試験受験の道を選んでしまった以上、自分だけではなく、親や友人のためにも、勉強し続けなければなりません。大学受験もそう、会社勤めもそう。

 たとえ「つまらない」と思っていっても、社会の中で生きている以上、人間は必ず継続しないといけないことあるんです。

 だからこそ、発想を転換して楽しんでしまいましょう。どうすれば勉強しながらも「今日も楽しかった」と思えるようになれるのかを考え、それを実行して楽しむ。どうすれば、この「つまらない」仕事を愉しめるかを考えてみる。

 そもそも、多くの人は「つまらない」と思った瞬間、そこで終わりです。

 「つまらない」ことを「楽しむ」ための方法論を探し出そうなんてほとんどの人が思いません。この話をすると、「お前ドМだな」なんて言われたりします。

 でも、ドМだろうが何だろうが、「つまらない」ものだろうがなんだろうが、それが継続してやらなければならないことなのであれば、少しでも「楽しい」と思えるエッセンスを考えて導入した人の方が全体的にハッピーだと思いませんか。

 どうせ「つまらない」なら100%「つまらない」より90%「つまらない」けど10%「楽しい」ほうがよくないですか。

 社会人になった今、「嫌だなあ」とか、「つまらん」って思ったけど、仕事だからやらないといけないことは正直あります。でも、それでもどうせやらないといけないので、楽しむ別の方法をいつも考えてます。まあ、ついでに隙を見てサボろうといつも画策しているんですが、まだ上手にサボれてはいないところではありますが。

 細かいことは抜きにして、ハッピーの量を増やしていきましょう。

 少なくとも私はキラキラしていたいので、ハッピーになることしか考えていません。脳内お花畑とかピーターパン症候群でいいんです。幸せの絶対量は無限大です。楽しむことを考えていても上限はありません。だから、いっぱい楽しむんです。

 考え方次第で物事の見方は変えられます。

 とにかく「楽しい」ことを考えてストレスを減らしましょう。

 

■スランプ=成長ゾーン

 仕事にせよ、人間関係にせよ、なんかうまくいかない時期ってありますよね。ほんと、なんかうまくいかない。対処しようにも結局なんかうまくいかない。

 そんな時期をスランプというわけですが、このスランプ、確かに陥ってしまうとつらいですよね。

 でも、安心してください。スランプなんて全然大丈夫です。だって、あの世界のイチロー選手ですらスランプに陥っていたみたいです。イチロー選手は年間200本安打の連続記録保持者でしたが、2011年のオールスターゲームへの出場とゴールドグラブ賞を受賞することができませんでした。その際、彼は「全然うまく行かなかった去年と比べ、今年はかなり行けるという感触はある。でも結果は違う。その紙一重のところで、スランプが3週間続いている」とコメントしたそうです。

 そう、世界のイチロー選手ですらスランプに陥る、いわんや我々をや、じゃないですか。

 知ってましたか。スランプって本気な証でもあり、成長のきっかけでもあるんです。というのも、ある記事[U3] [U4] によれば、スランプは本気で物事に取り組んでいる人に訪れますが、毎日毎日惰性で生きている人の下には訪れないそうです。そう、スランプに悩むということは何かに本気で向き合い、一定の達成点に到達したからこそ抱く悩みということができます。

 そもそも、スランプというものは自分で「あ、スランプだ」と思った瞬間から始まります。スランプになったことを測る客観的指標はありません。スランプは、我々が勝手に作り出す状態なんですね。

 そうだったら話は早い、そんな状態を自分で作り出さないように考え方を変えればいいんです。

 そこで、私はスランプを成長ゾーンと捉えるようにしました。成長ゾーンにいるということは当面のゴールを達成することができた。でも、まだ限界値じゃないからここからさらに成長できる自分がいるんだ、と。そして、成長ゾーンに突入した理由が一定の達成点に達したと思ったことなのであれば、これまでと同じ方法では成長ゾーンを突破することはできないわけですよね。だから、これまでとは別の全く新しい発想を取り入れてみる等して試行錯誤を繰り返すんです。先ほどお伝えしたイチロー選手も、スランプに陥っていると考えた後、シアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースへ移籍することで環境を変え、その結果、見事地区優勝を果たしました。

 このように発想を変えて行動すれば、たいていの成長ゾーンは突破することができます。

 あとは、成長ゾーンを超えたい場合、自分一人で考え込まないということも大切だと思います。結局、自分の思い込みがスランプ突入のきっかけなわけですから、自分一人の頭で打開策を考えつくのはなかなか難しいかもしれません。

 だからこそ、信頼できる友人や人生の先輩等に話を聞いてもらい、別の観点から意見をもらうといいと思います。人間はみな考え方や経験が違うので、アドバイスは千差万別なはずです。そうすると、新しい方法論を思いついたりして、スランプという思い込みを脱出することができます。

 何度も言いますが、スランプは本気だからこそ直面すると思います。発想を転換して成長ゾーンに突入したと考えましょう。ゾーンを抜ければさらなる高みが待っているなんて、ワクワクしませんか。

 

■飽きる強さ

 飽きっぽい性格。なんとなくですが、飽きっぽいというのはマイナスに捉えられる傾向があるように私は思います。あくまで私の感覚なので、「いやいや、別にそんなこと思ってない」という方がいらっしゃいましたらすいません。

 その上で、飽きっぽい人に対してどんな印象を皆さんは持たれるでしょうか。

 私は飽きっぽいってすごい武器の持ち主だなあって思うんですよね。

 なぜか。

 そんなの単純ですよ。飽きっぽい人って、飽きたら他のものにすぐに着手するんです。

 ポイントは「すぐに着手」。

 皆さん思い起こしてください。飽きっぽいゲーマーってまじ[U5] でいろんなゲームをやっていませんか。飽きっぽいアニオタってびっくりするぐらいアニメの知識が深くないですか。

 飽きっぽいというのは、言い換えると、すごい行動量を持ち合わせていると私は思うんですよね。だから、飽きっぽいというのは何も悪いことではないのです。ただ、真剣に夢中になれるものに出会っていないだけ。そして、世の中には夢中になれることが無限に広がっている。

 バランスの問題なのかもしれませんが、飽きっぽい方。自信持ってください。行動力の鬼なのですから。中途半端に飽き症な自分からすればうらやましいなあ。

 行動力の塊=飽きやすさ。飽きる強さ、私はもっと手に入れたいです。

今回はここまで!

次回,最終回です!

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