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【連載】私、公務員辞めます。

耐える日々を3年過ごした年度末、事務所内での異動が言い渡された。新しい仕事が始まることに少しの不安はあったが、元々業務で交流があった課への異動だったため知り合いばかりで楽しみの方が多かった。

この異動が私にとっての地獄の始まりになるとはこの時の私は知る由もなかった…。

4月。
異動し新しい仕事なのにも関わらず、余計な仕事を増やしたくないお局様達に「若い人の方がいいだろう」という理由で私は親任職員の指導員を押しつけられた。

例年であれば、親任職員は4月中はほとんどが研修で所属に出勤することはほとんどないため、4月中に私が新しい仕事を覚えてしまえばなんとかなると思っていたが、某感染症の対応がまだ定まっていなかった当時、研修はオンラインですらなく全て無期限の延期という形をとっていた。そのため、4月1日から毎日隣で私自身も仕事を覚えながら仕事を教えなければいけなくなった。

とは言っても、覚えながら教えることは私にはとてもではないが出来なかった。そのため、必然的に私は毎日残業をして、残業中に新しい仕事を覚え、後輩に教えられるようになるまで自分の中に落とし込み、翌日に後輩に教えるという毎日を繰り返していた。
それを見ていたお局様も、上司も全員「無理しないようにね〜」と言うものの、何か手伝ってくれるわけでも、私の業務を減らしてくれるわけでもなく、声だけかけて毎日定時で帰っていった。

そんな日々が数ヶ月続いたある日、所属する自治体で問題が起こった。その対応に1番関係するのが私の所属する課だった。緊急に沸いた仕事を片付けるために、通常業務に加えて大量の仕事が舞い込んだ、それらの仕事はお局様達によって私以外の職員に均等に分けられ、他の職員の4倍の量の仕事が当然のように私に振り分けられた。

「あなたならこの量任せても大丈夫よね?」

NOと言えない私の性格を分かってのことだったのかは今となっては分からないが、私はそれらの仕事を笑顔で引き受けた。専用のシステムが必要な仕事であれば遅くても19時にはシステムのシャットダウンで仕事が出来なくなるが、私に振り分けられた仕事はシステムがなくても仕事が出来た。緊急のため短い期限での仕事だったため、私は毎日23時まで残業した。さらには当時、私は歳の近い従姉妹が危篤状態で、いつ亡くなるか分からない状態だったため、仕事に穴を開けることがないよう休日出勤を上司に相談したら「休日の出勤手当は出せないが、穴が開きそうなら出勤してもらって構わない」と言われた。納得いかなかったが、仕事に穴を開けた時の恐怖で休日に出勤をした。

私の悪い予感は当たり、休日出勤をした日の夜従姉妹は帰らぬ人となった。暦の関係で葬式と法事は日曜日と月曜日になったため、月曜日に仕事は有給をもらったが、休日出勤をしていたおかげで仕事に穴を開けずにすんだ。

しかし私が知らない間に、この頃から私の体調は少しずつだが、確実に悪化していっていた。

次回更新予定日:5月20日(金)06:00


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